アウティングが更生に与える影響

今回の記事にはもうひとつ問題がある。「アウティング」の危険性が認識されていないことだ。「アウティング」とは、ひとの性的指向について他人が勝手にバラしてしまうことをいう。数年前には、名門国立大学の大学院生が、同級生のLINEグループにおいて勝手にアウティングされてしまい、思い悩んで自殺してしまう、という痛ましい事件があった。

容疑者の性的指向についてはわからないし、そもそも今回の事件とセクシュアリティにはなんの関係もないはずだが、ニュースの記事において唐突に「新宿二丁目のディープな店に出入りしていた」と書かれてしまうと、途端にミスリードの可能性が生じる。新宿二丁目と容疑者を結びつけることによって、本来犯罪事実と関係のないはずの容疑者のセクシュアリティについてまで邪推を生んでしまうことになる。

言論の自由は、僕たちの生きる民主主義社会の最後の砦だ。無論、自由な報道もしかり。ただ、事件や事故の報道は、ひとびとの好奇心を煽るためのものではない。そしてなにより、僕たちはひとつの社会で共生している。報道する側だったひとが、気づけば報道される側になっているかもしれない。与党はいつの間にか野党になっているかもしれないし、薬物事件に憤っていた自分が、気づけば薬物依存症になっているかもしれない。

このカオスな市民社会を正常に保つために必要なのは、「同感」する力であり、それはすなわち「想像力」である。相手の立場に立ってみること自分の信じる「正義」だけではなく、相手の信じる「正義」についても考えてみること何ごとも「明日は我が身」かもしれない、ということ――。この社会に住まうひとりひとりが、すべてと関わり合う「当事者」としての意識を持つことでしか、社会は良くなってはいかないのではないだろうか。

「自分がそうだったら」「これをされたのが自分だったら」――そう考えるだけで、社会は変わっていくはずだ Photo by iStock