大切なのは叩くことより「同感」すること

近代経済学の父アダム・スミスは、主著のひとつ『道徳感情論』において、市民社会の本質は「同感」(Sympathy)にあると看破した。「同感」は「想像力」と言い換えることもできる。ひとの痛みや労苦、あるいは犯罪に走ってしまったひとの心情などあらゆるものを「想像」する。その上で、自身の行動を適宜性の範疇に律する――。そういう近代的市民社会においてのみ、資本主義市場経済が正常に機能するのだ。

それは、社会全体についてもそうだといえる。薬物も、アクセルとブレーキの踏み間違えも、宗教も、認知症も、LGBTも、発達障害も。すべて「他人事」ではないのである。いいことも悪いことも、僕たちの社会で起こっており、僕たちの生活とかかわり合っている。

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さて、今回の記事で取り上げられた容疑者は、多くのものを失うだろう。彼は十分すぎるほどの社会的制裁を受けるだろうし、すべてが曝されてしまった以上、すでに社会的制裁を受けたと言える(社会的制裁が必要か否かという議論も必要だろう)。

本来、薬物事案について最も大切なのは、「再犯を防止すること」である。市中引き回しの上で晒し者にすることが、果たして薬物事件の再犯防止につながるだろうか? 

どんなに反省しても。どんなに後悔しても。一度ネットに曝されてしまった情報で、彼は傷つき続けるだろう。再就職をするにも、うまくいかないかもしれない。ああ、もうどうでもいいや、とヤケになってしまって再び薬物に手を出してしまう――。万が一そうなった場合、今回の記事を書いた記者は再び「他人事」として彼のことを報じるのだろうか。