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「余命半年の受験生」が、甘えた浪人生たちに教えてくれたこと

命の重さと医学の限界

優秀で皆勤だった受験生が…

勉強を含めた様々な取り組みで、子供(受験生)に自発性が見られない時、子供の心を突き動かす原動力となるのは、親や教師などの言葉か、それとも、他者の行動や背中が語りかける生き様か、どちらだろうか。

ある時期までの私は「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という軽妙な名言に心を惹かれ、前者の「言葉」に重きを置いていた。人にものを教える場合、人には見本を示すこと、それをなぞるように同様にさせてみること、そして出来栄えがどうであれ、ひとまず誉めてやること、これが人を動かす基本であると考えていたのだ。

確かに、真剣にかつ丁寧に諭すように人に向き合えば、心の窓は開かれていく。相手の心の窓が開かれねば、その後の対話なども進展しないのだから、言葉がけには一定の意義があろう。だが同時に、私は高校時代に触れて強い影響を受けたニーチェの言葉を見直し、価値を見出すようになった。それは、

「人から信じてもらいたければ、言葉で自分を強く打ち出すのではなく、行動で示すしかない」(Nietzsche “Der Wanderer und sein Schatten” より)

という簡潔な名言である。

言葉は自らの考えや感情を伝えるツールであり、人が生きていく上で大切なものであろう。だが、言葉など実はいらないケースもあると、ある日思ったのである。子供たちに真に重要な体験をする機会を与えられれば、それでいいのかもしれないと感じたのだ。

きっかけとなったのは、過去にあったこんな出来事だ。もうかれこれ25年前、私が主宰者として医学部受験予備校をほぼ1人で切りもりしていた頃の話だ。

 

東京の有名私立大学の理系学部を休学して、医学部への再受験を決意し、私の予備校に入会した学生がいた。彼は理系の大学生ということもあり、数学が特によくできた。4月、7月に実施された公開模試では、既に難関私立大学医学部の合格判定として望ましい成績をマークしていた。

彼の前途は明るく、医師への道筋ははっきりと見えていた。ところがその年の夏、彼に異変が起きた。授業を休まず皆勤だった彼が、予備校に顔を出さなくなり、連日休むようになった。