フリー編集者の上松容子さんは、両親が30代のときに生まれたひとりっ子。東京で生まれ育ったが、両親は仲良く元気で、両親の兄妹も都内にいた。しかし父ががんで急逝すると、「ていねいな暮らし」をしてきた母・登志子が一気に認知症を発症したのだ。

上松さんには、実母と一緒に暮らせない事情も抱えていた。そこで相談したのが、しっかり者として町内でも有名な、母の実家に暮らす母の実姉・恵子だった。母と暮らすことを喜んで引き受けてくれ、ほっとしたのも束の間、実はその実姉も認知症の疑いがあり、どんぶり勘定で生活費も母の年金を頼っている現状を知る。しかも、二人の家はネズミが走り回るゴミ屋敷と化していた。介護サービスに相談をし、ヘルパーの方が来てくれたが、プライドの高い伯母が追い返してしまう。袋小路に追いやられていた。

これは、名前のみを変更したドキュメント連載である。第7回となる今回は、伯母と母が、二人の弟の四十九日という「フォーマルイベント」に参加したときの切ない話をお伝えする。

上松さんの今までの連載「介護とゴミ屋敷」こちら

自宅で幸せに逝った叔父

現在「認知症姉妹」としてゴミ屋敷に暮らしている恵子伯母と母は、6人きょうだいである。長男、その下に長女の恵子伯母、次男、母・登志子、その下に弟・和夫と妹・幸子がいる。

そんな、2人の弟である和夫叔父が亡くなった。65歳だった。
喪主は妻の晴子叔母。つまり、恵子伯母と母・登志子の「義妹」である。

グラフィックデザイナーで画家でもあった叔父は、全身に癌が転移し、自宅で亡くなった。
自宅ターミナルケアのお手本といってもいいかもしれない。最期は介護ベッドに寝たきりで、ほとんど身動きとれなかったが、部屋には好きなジャズとクラシックがかかり、上質のお香が焚かれていた。窓からは季節の草花が見えたし、部屋にも花が溢れんばかりに飾ってあるのだ。すべて、叔父の好みや状態を考えぬいた叔母の工夫だった。訪れるヘルパーさんたちも「仕事なのに、ここに来ると癒されるわ」と、ゆるゆるとした表情で帰るのだった。

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さて、その叔父の四十九日。彼を偲ぶ会を、駅近くの格式ある中華料理店で開くことになった。ごく親しい身内だけで、美味しいものをいただきながら懐かしい話をしようというわけだ。もちろん、母と恵子伯母、さらにその妹である幸子叔母も来ることになっていた。総勢7人の会食である。

ふつう故人を偲ぶ会を開くなら、参加者の予定を確認して、開催日と予算を決め、店を予約し、当日を迎えればよい……はずである。我が一族の場合、店の予約まではスムーズ。最大のハードルは、老女ふたりの「身だしなみ」だった。