2月28日 日本初の脳死判定(1999年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1999年のこの日、日本で初めて法律に基づいた脳死判定が行われました。

脳死判定を受けたのは高知赤十字病院に入院していた女性患者で、彼女の各臓器は日本各地の大学病院に引き渡され、しかるべき患者に移植されました。

特に、心臓については1968年に札幌医科大学の和田寿郎によって行われた日本初の心臓移植から実に31年ぶりとなる国内2例目の移植となりました。

そもそも、脳死という言葉が登場したのは比較的近年のことです。

 

通常の場合、脳の機能が不可逆的に停止した状態になった生物は、呼吸機能を失うなどしてすぐに死亡してしまいます。

しかし、1950年代になって人工呼吸器が登場したことによって、「脳の機能は止まっているが身体は生きている」という状態が生まれました。これが脳死です。

1960年代になると、脳死状態の患者から摘出された臓器の移植成功率が高いことが判明。世界的に「脳死」と「移植」との関係が注目されるようになります。そして1968年にハーバード大学医学部が脳死の基準を発表してから、世界的に「脳死移植」が広がっていきました。

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一方、当時の日本社会は臓器移植について消極的でした。その理由としては、どのような状態を「脳死」と定義するのかが曖昧であったことが挙げられます。前述の和田寿郎による日本初の心臓移植でも「患者が本当に脳死であったのか」ということが議論の対象となっています。

しかし、1985年に状況は一変します。杏林大学名誉教授の竹内一夫率いる研究チームによって、現在も使用される公的な脳死判定基準が設けられたのです。これは「竹内基準」とも呼ばれています。

1997年には竹内基準を脳死の基準として取り入れた臓器移植法が成立し、1999年の移植に結びつきました。

この臓器移植法は幾度かの改正を経て、現在でも適用されています。

当記事にも登場した竹内一夫先生による著書

『脳死とは何か』

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