最初の日本人が命がけで挑んだ「3万年前の大航海」体験記 第1回

丸木舟スギメの大冒険 台湾から出発!

「最初の日本列島人」は、どうやって難関の海を越え、この地へやって来たのか。祖先たちの大航海を「体験」して謎に迫ろうと、第一線の研究者と冒険家のチームが挑んだのが、丸木舟で台湾から日本列島を目指す実験航海。

巨大海流「黒潮」を越え、200キロメートル以上先の見えない島を目指した昨夏の冒険は、世界最高峰の科学誌『サイエンス』で紹介されるなど、国際的注目を集めました。

壮大なプロジェクトを率いたリーダーが、航海の模様をはじめて詳細に語りました。豪華連載で、複数回に渡ってお届けします!

【登場人物紹介(敬称略)】

原 康司:経験豊富で常に心穏やかな頼れるキャプテン
宗 元開:レジェンドと呼ばれる伝説のカヤッカー
鈴木 克章:草・竹・木の全ての舟を漕いだ唯一の漕ぎ手
村松 稔:与那国の魂を背負って漕ぎきった役場職員
田中 道子:抜群のパドルセンスで丸木舟を操った舵とり

丸木舟スギメ、いざ出航

「さあ行きましょうか!」
 
先頭で漕ぐ宗さんの気合いのこもったかけ声とともに、丸木舟スギメが、台湾の烏石鼻(うしび)の砂浜を離れた。

日本時間の14時38分(現地時間13時38分)。予定より1時間半ほど遅らせての出発だ。

5人が漕ぐスギメは、烏石鼻の大きな岩の横を滑るように通り抜け、やがて湾の外に達し、私が乗る伴走船には目もくれずに沖へ出て行った。

烏石鼻の岩を右手に見ながら台湾を出航した丸木舟スギメ〈撮影:筆者〉

2艘の伴走船(私が乗るクジラ観光船と、内田さんらが乗るヨット)もこれに合わせて沖へ転回し、スギメを斜め後ろから追う所定の位置につける。我々の安全を見守るために派遣されていた、台湾の海巡署の巡視艇もあとに続いた。
 
この先、伴走船は基本的に黙って丸木舟について行く。3万年前の祖先たちがしたように、進む方向は丸木舟が自分で決める。

これまでの実験のときと同じように、もし彼らが進路を誤っても、私たちは何も言わないルールだ。3万年前の再現なので、伴走船は基本的にいない存在なのである。

こうして、与那国島を目指す大航海が始まった。私たちは左前方、つまり北東方向に、与那国島があることを知っている。

しかし地球の球面上にあるその島は、水平線の下に隠れており、今はその気配すら感じられない。眼前に見えるのは海と空と雲だけという状況の中、いつかあの島が見えることを信じて進む。

2時間ほど前の状況とは変わり、周囲の海は、かなり落ち着きを取り戻していた。北東から吹いてくる風も、風速3メートルほどとあまり気にならない。

水面上を波高0.5メートルほどのうねりがおもに右前方(南東方向)から繰り返しやってきて、スギメの船体は、そのたびに波間に隠れたり出たりを繰り返していた。

 

大きく圧倒的な海の中に放り出された小さな丸木舟を見ていると、それがとても無力なものに見える。しかし今漕いでいる5人は、「行ける」という自信と、「行くぞ」という強い気持ちを持っている。

彼らはこの舟の性能と限界をわかっているから、舟の能力を引き出せるし、危険を察知できるのだ。丸木舟は3万年前として考えうる最高の舟。祖先たちは、これかこれ以下の舟で航海に成功している。私たちのチームにできないはずはない。

蛇行しながら東へ

5人の漕ぎ手は、先頭から順に、宗元開さん、鈴木克章さん、村松稔さん、原康司さん、田中道子さん。前の4人が漕ぎ、最後尾の田中さんは舵を取る。

舟が効率よく進むよう4人は息を合わせ、1・3番手が右側を漕いでいるときは2・4番手が左側を漕ぎ、適度な間隔で左右を入れ替える。

丸木舟の漕ぎ方については、これまで随分議論してきた。

漕ぎ手たちはそれぞれの“漕ぎ理論”を持っていてそれがぶつかり合ってもいたのだが、最終的に、チーム最年長で数々の国際シーカヤック長距離レースで優勝してきた宗さんが言う、「重い舟なんだから櫂を横に寝かせるんじゃなく、立てて漕いだほうがいい」という意見に合わせるかたちで、皆の動きを整えた。