3.11後の東北をただ車で通り過ぎた私の「大きな怒り」

失われた小説をもとめて【7】
藤田 祥平 プロフィール

サルトルと〈普遍性〉

仙台市に着くころには、疲労困憊していた。ただ、運転による精神の疲れに、街々を歩いたことによる肉体の疲れがうまく混ざっていて、気分は悪くなかった。ホテルの部屋に荷物を置いたとき、今夜はぐっすり眠れるだろう、と思った。

さて、仙台と言えば牛タンである。ほかに選択肢など、あろうものか。

私は厚切りの極上のところを食べた。食べながら、あれっ、おれ、そういや、ついさっきつばめ食堂でヒレカツ定食を食ったよな、と思った。しかし、どんどん入ってしまう。私は困惑しながら牛タンを食べ、麦酒を飲み、シメの冷麺までいただいた。

結果として腹がふくれあがり、苦しかった。ホテルのベッドに横になったが、仰向けだとつらいので、慎重に右を下にして、じっとしていた。

そのとき、誰かが私の部屋のドアをノックした。私は不審に思った。仙台に来るのもはじめてなら、ホテルに部屋をとったのも二時間前で、知り合いなど誰ひとりいない。ふつうなら開けないが、そのときは何だか好奇心がわいて、はいと答えて扉を開けた。

 

ホテルのボーイらしい男が立っていた。

「お忘れ物です。フロントでお読みになられていましたね。」と彼は言いながら、一冊の本を差し出した。

サルトル『嘔吐』、人文書院の改訳新装版、白井浩司の訳業だった。

「いや、それは、」私のものではありませんと言いかけて、ふと思った。「……ありがとう。どこへやったかなと思っていたんだ。」

私はその本を受け取り、扉を閉めた。

サルトルほど人を眠らせなくする作家はいないと思うが、読んでいるうちにそのことをますます意識させられたので、読むのをきっぱりやめた。それでかえって潔く眠ることができたのだから、サルトルに眠らせてもらったようなものだ。

私が本を閉じたのは、つぎの一文のあとだ。

「自分がすっかり飽きあきしているのがわかった。なぜインドシナくんだりまできているのか、考えてもわからなかった。自分はここでなにをしているのか。なぜこんな人たちと話をしているのか。なぜこんな奇妙な服装をしているのか。私の情熱は消えていた。情熱は私を圧倒し、幾年もの間、私をひきずり廻したのだが、いまや虚ろな自分を感じていた。」

そして主人公はあらたな冒険の話を断り、フランスのどこかの田舎町へ引っ込む。

私はいい小説を読むと、これは自分のことについて書かれている、と思う。どんなに性格がちがう主人公や語り手であっても、あれ、おれにもこういうところがあるな、と思うのだ。

おそらく、私だけではなくて、たくさんのひとがそう感じるはずだ。

これが〈普遍性〉である。