「コロナウイルスは病人よりも人種差別主義者を多く生んだ」と書かれたフランス・ナントの落書き(Photo by gettyimages)

新型コロナウイルスで「黄色人種警報」を信じた人々の「差別の深層」

差別と偏見を駆動する「嫌悪感」の正体

差別はいけない、しかし起きている

いま、新型コロナウイルスによる人種差別が世界各地で相次いでいる。フランスの地方紙『クーリエ・ピカール』は、コロナウイルス関連の1面の見出しに「黄色人種警報」などと付け、謝罪に追い込まれたようだ。

日本国内でも例外ではなく、コロナウイルスのニュースに端を発する中国人への民族差別的・ヘイト的言説が、SNSをはじめとしてあちこちで散見される。

一般的な記事であれば、ここから「問題に対する正当な対処と、ヘイト感情を背景にした不当な差別を混同してはならない」と警鐘を鳴らすにとどまるだろう。筆者もそうしたいのだが、そのような記事は既に多く書かれている。

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無論、差別はいけない。ウイルス・パニックに乗じて人種的ヘイトを撒き散らし、集団ヒステリーに火をつけるような輩は社会の害悪である。そして、それにまんまと流される人は愚かである。この点については、良識ある読者からは異論はないと思う。

しかし、われわれが直面している問題の真の核心とは、「それでも差別は起きている」ということだ。コロナウイルスのニュースが出て以降、筆者の近辺でも中国人差別を孕んだ会話を幾度か直接耳にした。みんな「差別はいけない」とわかっているはずなのに、巷では確実に、ヘイト感情が昂りを見せている。

 

病原菌やウイルスに対する危機感や忌避感と、人種的嫌悪や異文化嫌悪はなぜ、時としてリンクするのか

筆者は、人間社会で起こる様々な事象について「こうあるべきだ」ということよりも「なぜそんなことが起こるのか」という原因究明の方に関心がある。なぜならわれわれ人類にとって、事象の〈なぜ〉を解明・理解して飼いならし、使いこなせるようになることが、プロブレムソリューションの最短ルートであるからだ。