米中大戦争時代に日本が“隷属国”であり続ける「厳しすぎる現実」

多極構造の世界を生き抜くために
伊藤 貫 プロフィール

「目に見えない文化的遺産」

ドゴール家はフランス革命から一世紀以上経った19世紀末になっても、反革命精神と反世俗主義(anti-secularism)を維持していたエキセントリックな家庭であった(世俗主義〔secularism〕とは、ローマ時代後半期から18世紀まで続いたキリスト教的な世界観と人間観を否定して、功利主義・実証主義・実益主義・プラグマティズム等の"世俗的な価値判断"を尊重する思考法である)。

浮薄でブルジョワ的な「世紀末潮流」に満ちていた19世紀末期の大都市パリにおいて、18世紀以前のフランス文明の伝統であるorthodoxy(正統主義)とclassicism(古典主義)を頑固に維持していたドゴール家は、明らかにフランス社会の少数派であった。ドゴール自身も死去する直前、「私は常にフランスの少数派であった」と認めている。

ドゴール家にとって「カトリック教会と国家と軍隊に対する忠誠心」は、今さら議論する必要もない「フランス国民の自明の価値規範」であった。

彼らの歴史観によれば、12~18世紀前半のフランスが「世界の知的・文化的な中心」として活躍できたのも、これら三者(教会・国家・軍隊)に対するフランス国民の忠誠心という基盤があってこそ成しえた偉業なのであり、18世紀後半期からフランスの流行思想となった理性崇拝主義、自然主義、ロマン主義、実証主義、社会主義等の「進歩的で開明的な」イデオロギーは、フランスを軽薄化させ堕落させただけなのであった。

*ドゴールは生涯、ありとあらゆる政治経済のイデオロギーに対して、強烈な懐疑心を抱いていた。彼は社会主義や共産主義だけでなく、資本主義、ファシズム、反共主義、テクノクラシー、アメリカニズム等に対しても、懐疑的・批判的であった。真剣なカトリックの思想家であったドゴールは、左翼や右翼のイデオロギーや経済学・社会学・政治学の諸学説などという「人為的なconstruct(構成概念)」によって、人間と社会を解釈し、構想し、再構築しようとする「神をも畏れぬ僭越な仕業」を、信用していなかったのである。
 

誇り高く禁欲的な没落貴族であり、しかも愛国派であったドゴール家にとって、18世紀後半期からのフランスは「堕落した文明」そして「没落した祖国」であった。

ドゴールの父は普仏戦争に参戦して負傷した元陸軍士官であったし、ドゴールの母も多数の職業軍人を輩出した家系の出身であった。

したがって彼の両親にとって、普仏戦争に負け、しかも19世紀後半期の帝国主義競争において大英帝国・ドイツ帝国の後塵を拝してきた祖国フランスの窮状は、歯ぎしりするほどに口惜しい憂国の重大事であった。

文才に恵まれ学業成績も優秀であったドゴール少年が父や叔父のように学者・文人となる途を選ばず、陸軍士官学校に進学することを決めたのも、「ドゴール家には、フランスのこれ以上の没落を阻止する義務がある」という"中世の騎士道物語"的な使命感と信仰心があったからである。

*ドゴールの内部には常に、ドン・キホーテ的でいささか滑稽なヒロイズムと、中世の修道僧のようなtranscendental(超越的)でascetic(禁欲的で反世俗的)な求道精神の、両方が同居していた。この"時代錯誤的で誇大妄想的なヒロイズム"と"真摯で峻厳で自己否定的なasceticism(禁欲主義)"という奇妙なミックスが、筆者には堪らなく魅力的なのである。ナポレオンやムッソリーニやヒトラーや毛沢東には、強烈な"誇大妄想的ヒロイズム"はあったが、"峻厳で自己否定的なasceticism"など皆無であった。詩人的・修道僧的な軍人であったドゴールは、「transcendentalist的なrealist」という明らかに矛盾した性格の人物だったのである。このような矛盾を内包することは、実は重要なことである。人間はtranscendentalism だけでは歴史に働きかけることはできないし、realism だけでは、卑賤な現世至上主義や低俗な功利主義に堕ちてしまうからである。