米中大戦争時代に日本が“隷属国”であり続ける「厳しすぎる現実」

多極構造の世界を生き抜くために
伊藤 貫 プロフィール

ドゴールの生い立ちと性格

深い思考力・洞察力と大胆な企画力・行動力を兼備したシャルル・ドゴールは、とても魅力のある人物であった。彼は単に勇敢な軍人であっただけでなく、自分自身でフランスの歴史や国際政治のシナリオを構想する能力を持つ思想家であった。

そして彼は、自分の創作したシナリオを実際の国際政治において実現してみせる能力を持つ「行動する預言者」だったのである。

 

しかもドゴールは、文人・批評家・政治思想家としても傑出していた。

筆者は、ドゴールの思考力・洞察力の深さは、「リシュリュー、モンテスキュー、シャトーブリアン、トクヴィルのようなフランスの歴史に残る英才に匹敵するものだ」と感じている。

そのような深い思想家であり知性人であったドゴールが、ナチスに占領され踏みにじられて「究極の屈辱」を味わっていたフランスに、突然「poeticな救国の軍人」として登場したという歴史のドラマがとても面白いのである。

*ドゴールのことを「poeticな軍人」と呼んだのは、彼の姉である。ドゴールには、機械化されて殺伐とした20世紀の陰惨な戦場よりも、12~14世紀的な「中世の騎士道物語」に登場したほうがふさわしいような、何となく滑稽で時代錯誤的な魅力がある。

ドゴールが存命中、ドゴールと激しく対立していた故ミッテラン仏大統領(社会党)は、「ドゴールは過去1600年のフランス史において、シャルルマーニュ大帝に次ぐ偉大なフランスの統治者であったと思う」と語っていた。ミッテランのように常に"ドゴールの宿敵"であった左派の政治家ですら、ドゴールの偉大さを認めざるを得なかったのである。

ドゴールが哲学的な視野と古典的教養を備えた「poetic な軍人」となった最大の理由
は、彼の恵まれた家庭環境にあった。

彼の先祖は、13世紀のフランス北部において騎士階級となった武闘派の下級貴族であった。しかしドゴール家は17世紀(太陽王ルイ14世の時代)になるとパリに移住して、フランス政府の文官(法服貴族)となった。

そしてフランス革命によって財産を没収され、政府の公職から追放されたドゴール家は、19世紀末になると、誇り高き貧乏貴族として学者や文人を輩出する知識人家庭となっていた(ドゴールが生まれたのは1890年である)。

ドゴールの祖父は歴史学者、祖母は大量の著作を遺した小説家であり、二人の叔父は英文学者(詩人)と生物学者、父親はパリの名門リセの校長を務めた哲学者・古典学者・文学者であった。

経済的にはミドルクラスであるが精神的・文化的にはリッチな上層階級に所属していたドゴールは、幼少の頃から、ギリシャ・ラテン・英仏独の5ヵ国語で、史書や古典劇や叙事詩を朗読し暗誦する教育を受けて育った。

過去2400年間の西欧文明の最も良質な知的・文化的な遺産を、ドゴールは連日、自宅のディナー・テーブルにおいて両親や親戚の会話から自然に吸収することができる家庭環境で育ったのである。

記憶力が抜群であったドゴールは、70歳を過ぎてもラテン語やドイツ語の古典文学を原文で引用して周囲を驚かせていた。

彼のこのような知性と教養は、厳格で熱心でしかも温厚な教育者であった父親から彼が相続した「目に見えない(invisibleかつintangible)文化的遺産」であった。

*ドゴールの父親の教え子の多くが、フランスの著名な学者、思想家、法律家、軍人となっている。ドゴールの父親は真に卓越した教育者であった。