『パラサイト』は「富裕層vs.貧困層」の映画ではなかった

どちらの家族も陥っている「現代の悪夢」
真鍋 厚 プロフィール

心理学者のリンダ・グラットンは、「不確実性がある以上、柔軟な計画を立てて、さまざまな状況に耐えうる強力なアイデアを追求するのが賢明だ。要するに、不確実性を前提に戦略を錬る必要がある」と述べた*1。しかしながら、そのような「誰もが不確実性を織り込まなければならない世界」とは、もはや社会というよりは、「災害」といくらも変わらないカオス(混沌)が支配する世界である。

実質的に選択の余地のないキム一家のようなアンダークラスにとって、無慈悲かつ暴力的な社会構造は動かしがたい「初期設定」であり、彼や彼女たちの行動のすべては――たとえいくら「計画」を立てたとしても――結局のところ構造を揺るがす力をもたない。

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それは裏を返せば、「免罪符」でもある。一人ひとりにそのつもりはなくとも、資本主義の巨大システムへ多くの人が適応することによって、「現代の悪夢」が現出する。キム一家自身もその一部である。

そして格差の下層にいる人々だけでなく、想定外の事態に巻き込まれるパク一家のような富裕層にとってさえも、現代社会は予測できない「自然災害」のような様相を呈しつつある。それはギテクが洞察しているように、根本的に「無計画」であり、誰かに罪や原因があるわけではないのだ。

 

これは「格差の映画」なのか

次に、本作を語る際の枕詞となっている「格差」についてだ。富裕なパク一家と貧しいキム一家の対照性に、富裕層vs.貧困層という格差の対立を見てとる向きが多い。しかし筆者は、彼らに共通しているものにこそ、重要なポイントがあると見る。

それは、一言で言えば「終わりなき相対化のゲーム」だ。

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