韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が米アカデミー賞で作品賞など4部門を獲得した。昨年5月にカンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞して以降、改めて脚光を浴びている。
グローバル化の暗黒面といえる「格差社会の不条理」という文脈で語られることが多い本作だが、その真価はわたしたちが決して逃れることのできない「現代の悪夢」を、精緻に構造化している点にこそある。
本稿では、筆者が特筆すべきであると感じた3つのキーワードに沿って、その詳細を論述してみたい。具体的には、下記のようになるだろう。
※なお、本稿はネタバレを含むため、未鑑賞の方はご注意ください。
この映画には冒頭から「計画」という言葉が頻出する。
キム家の主であるキム・ギテク(ソン・ガンホ)は、事あるごとに妻や子どもたちに「計画はあるのか?」と問い掛ける。とはいえ、「計画」と言っても大したものではない。これはキム家の人々を結び付けている合言葉のようなものだ。
キム一家は誰一人まともな仕事に就いていない。宅配ピザ屋の平たいピザ箱を組み立てる内職で口を糊する、最底辺の貧困家族である。
家賃の安い半地下のアパートは、日当たりが悪く、便所虫が這い回り、携帯の電波が入りにくく、酔っ払いが目の前で汚物をまき散らす、ゴミ溜め同然の場所だ。この窮状から到底脱出できるようには思えない。
だが、そこに偶然思わぬチャンスが転がり込む。浪人中の息子ギウ(チェ・ウシク)が、大学生の友人から留学中の肩代わりとして、家庭教師のアルバイトを紹介されたのである。