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「日本の生きる道」と有機農業の踏み誤られた歴史の第一歩

満洲報国農場と農本主義者たちの戦後
小塩 海平 プロフィール

日本の有機農業運動、踏み誤られたはじめの一歩

ところで、日本における有機農業の始まりは、日本有機農業研究会が設立された1971年とされている。有機農業という言葉はこのとき初めて使われたという。

研究会設立の柱となった一樂照雄は、有機農業とは本来あるべき姿の農業という意味であり、オーガニック・ファーミングの訳語であると述べつつも、黒澤酉蔵の「機農」という言葉からも示唆を受けたと述懐している。

日本有機農業研究会は、絶版になっていた『黄金の土』や『農業聖典』などを翻訳し直して刊行・普及に努めたが、ブースのまえがきや石黒の跋は消え去り、戦後、有畜農業を目指した農本主義者たちとの結びつきは、うっすらと痕跡が残されているのみである。『黄金の土』は『有機農法 自然循環とよみがえる生命』という説明的な題名になり、『農業聖典』には「有機農業のバイブルに寄せて」という短い解説が付された。

 

これらの変更は、かつての農本主義者たちとのつながりを褪色させたうえに、肝心な原典との間にも不協和音を生じさせてしまったのではないかと思われてならない。ハワードやロデイルは、もっと慎ましやかな実践家を目指していたはずである。

例えば『農業聖典』という訳語の印象が強いため、現在に至るまで、この本を有機農業のバイブルだと思っている人が多い。しかし、原題は“An Agricultural Testament”であって“The Agricultural Bible”ではない。つまり、ハワードはこれぞ有機農業の決定版というような自己主張をしているのではなく、農業を営むにあたって一つの誓約をなそうと慎ましく、かつ厳粛な決意をしているのである。各章の終わりの段落にwillが多用されているのは、この誓約が将来にかかわるものであることを示している。

「聖典」と訳してしまったのは、New TestamentとかOld Testamentが「新約聖書」、「旧約聖書」を指すからだと思われるが、Testamentは「聖書」よりも「約」の部分を表しており、やがて成就すべき契約という意味である。

またTestamentは「遺言」と訳す場合もあるが、いまは封印されているものの、将来有効になる誓約のことである。ハワードは、将来の希望として、しかも確かな約束として、有機農業を捉えているのである。

翻訳者は、さらに定冠詞と不定冠詞の違いにも注意を向けるべきであった。というのも、この本が「農業における一つの誓約」であるからには、例えば、医療などにおける別の誓約もあってよい。事実、ハワードは1939年3月22日、チェシャー州における“A Medical Testament”の誓約に委員として署名している。“An Agricultural Testament”が「医療における一つの誓約」に応えて準備された文章であることを、有機農業運動の歴史家たちは見落としているのではないだろうか。