出産してから7年間、子どもを置いて
外出したことがなかった

私が小学校1年生のとき、父の仕事の関係でアメリカに引っ越した。商社マンだった父は転勤が多く、それまでも日本国内を転々としていた。転勤になるたびに、母と私、弟ふたりもみんな一緒に移動する。引っ越しや転校は慣れていたものの、さすがに海外は大変だった。

アメリカの友人たちとひな祭りパーティにて 写真提供/井口恵

今振り返れば、一番苦労したのは母だと思う。特にアメリカに引っ越すときは、父が辞令に合わせて4月に単身渡米。家や学校が決まったのちに、数ヶ月遅れで母と子供たちで追いかけた形だった。当時私は7歳。弟はまだ4歳と2歳だった。そんなちび3人を連れて飛行機に乗るだけでもどれだけ大変だったか、今では容易に想像できる。

アメリカでの生活が始まってからは、父は年間100日間は出張で家を空けていた。そんな中、弟は学校に行きたくなくて毎朝号泣。私が抱え込んでスクールバスに乗り込むと、諦めて一瞬泣き止むものの、心配してスクールバスの通り道にこっそり立っている母を見つけてまた号泣。見えるところに立つな、と小学生の私に怒られ、母はしゅんとしていた。

アメリカでは13歳まで子どもを一人で歩かせてはならない法律がある。スクールバスがなかったら親が連れて行く Photo by iStock

そんなカオスなアメリカ生活だったが、母がとても嬉しそうだった日のことを覚えている。結婚10周年の記念日に、父と母が二人でディナーに行った日だ。その日、私と弟はベビーシッターに預けられた。初めて母が夜私たちを家に置いて出かけた日だった。

母は私が産まれてから丸7年間、一度も子どもを置いて遊びに出かけたことがなかったのだ。

7年間一度も子どもたちを置いて家を空けたことがなかった Photo by iStock

父が死んだら私が稼ぐしかない

幼いときからずっと、父と母はお互い良いパートナーを見つけたなと思っていた。

父は一人で5人家族を養う経済力があり、家族のことが大好きで、土日は自ら進んで料理をしていた。新婚当初、母が料理が苦手すぎて、週末は料理上手な父がご飯を作っていた習慣が今でも続いているらしい。幼いときから、「お父さんほどなんでもする人はおらんから、これが当たり前やと思ったらあんたは結婚でけへんで」と母に教えられていた。

物心がついてから、私は将来は父のように働きたいと思っていた。母の教えもあってか、私が父のような人と結婚して養ってもらえる可能性は低いと悟っていた。たとえ奇跡的にそのような人に出会ったとしても、母のように子育てに人生を捧げることはできないし、逆に自分が家族を養えるくらいの経済力が欲しいと思っていた。なぜなら、子どものときからずっと気になっていたことがあったからだ。

母は、父が死んだらどうするんだろう?

縁起でもないことを言うなと怒られるかもしれないが、本気でそう思っていた。母は商社に一般職として入社し、数年後に父と社内結婚して寿退社している。当時はステレオタイプだったのかもしれないが、私にとってはリスクが大きい選択に思えた。

ほとんど働いた経験がない母は、父がいなくなったら生きていけないんじゃないか?もしそうなったら私が稼ぐしかない。

そう思っていた私は、小学生のときから「お父さんに何かあったら私が働いて家族を養う」と宣言していた。