槇原敬之「2度目の逮捕」で危惧…芸能人の薬物事件を愉しむ人たち

「処罰より治療」という一言に尽きる
原田 隆之 プロフィール

今に始まったことではないが、こうした騒動を見るにつけ、不謹慎ながらも何だかみんな事件を喜んで、愉しんでいるように見えてしまう。特に「大物芸能人」と呼ばれる人が逮捕されたときは、文字通り「お祭り騒ぎ」である。

なかでも最も醜悪なのは、芸能レポーターたちが「逮捕間近な芸能人は大物歌手Xだ」「次のターゲットは国民的アイドルのAだ」などと、ネットや週刊誌などで「イニシャルトーク」をして盛り上がっている様子である。

最近では、薬物使用を邪推された元アイドルがSNS上で否定するという騒ぎまであった。これら芸能レポーターたちもまた、薬物問題をエンターテイメントとして愉しんでいるとしか思えない。

 

何がこんなに愉しいのか

一体なにがそんなに愉しいのだろう。有名人の転落劇が愉快なのか、「予想どおりだった」、あるいは逆に「意外だった」という一時の興奮が愉しいのか。いずれにしても、サディスティックでいやらしい愉しみだというほかない。

しかし、人間は元来そういうものかもしれない。スケールは違うかもしれないが、古代ローマでは剣闘士に死ぬまで闘わせてそれを娯楽としていたのだろうし、中世では魔女狩りが人々を熱狂させた。誰かの不幸や転落を愉しむことは、何もいま始まったことではないだろう。

死闘や死刑をエンターテイメントとして消費できなくなった「文明人」は、もう少しささやかなところで、人の不幸を愉しんでいるだけなのかもしれない。

そして、それに付きものの多少の罪悪感を払拭するために、「薬物は犯罪だ」「厳しく罰せられるべきだ」と正義感を前面に押し出して主張する。しかし、やはり吊し上げは吊し上げだ。