撮影:海部陽介

私たちの祖先が「命がけ」で海を越え、日本列島を目指した理由は?

3万年前の大航海、徹底再現で迫る!
ヨーロッパのクロマニョン人は、自然の洞窟を壮大な壁画空間に変え、みごとな彫像を量産していたのに、同時代のアジアにそうした芸術的表現が乏しいのはなぜか?

──謎に悩まされた人類進化学者が行きついた答えは、意外なものでした。人間としての「創造性豊かな活動痕跡」は、アジアにもあったのです。ただし別のかたちで。

その頃アジア大陸の東端では、海の向こうの島へ移住するという、人類史上最初のチャレンジが繰り広げられていました。中でも日本列島への移住は、危険度の点で注目すべきです。

そんな祖先たちの大航海を再現する「科学+冒険」プロジェクトを成功させ、その成果を新刊『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』にまとめた国立科学博物館の海部陽介さんに、プロジェクトを立ち上げた理由を語ってもらいました。

クロマニョン人に「嫉妬」して

マンモスが生きていた数万年前に、毛皮をまとって石の槍で動物を追い回し、洞窟に絵を描いていた原始人──。

私がクロマニョン人について、高校までに歴史の教科書などから得ていた知識はこんなものだった。しかし、大学で人類学を学び始めてから、それが大きな誤解であることを知る。

Photo by Getty Images

クロマニョン人は4万5000〜1万4500年前頃、氷期のヨーロッパに暮らしていた後期旧石器時代のホモ・サピエンスなのだが、彼らはただ毛皮を肩や腰に巻いていたのではなく、丁寧に裁縫され、ときにビーズなどをあしらった衣服を身につけていた。

動物を狩るには、精巧な組み合わせ道具や、槍投げの威力を倍増させる補助具など、目を見張るような発明品を使っていた。そして、彼らの描いた壁画というのが、現代の美術家もうなる見事さなのだ。

「美術文化」を持ったクロマニョン人

クロマニョン人の芸術世界がどのようなものであるか、それを知るにはフランス南西部のヴェゼール渓谷へ行くことをお薦めしたい。

そこは美しい田園風景の中に中世の城が点在し、トリュフやフォアグラの産地としても名高い観光地だが、ぜひ見て欲しいのは、ユネスコの世界遺産に指定されている「147の先史遺跡と25の装飾された洞窟群」だ。

これらの遺跡は、この土地にかつて二つの異なる人類が暮らしていたことを教えてくれる。一方はネアンデルタール人と呼ばれる、土地の先住者。他方はクロマニョン人で、ネアンデルタール人が姿を消した後、どこからかここへやってきた。

 

両者について簡単に説明すると、ネアンデルタール人は、「およそ30万〜4万年前のヨーロッパなどにいた旧人」、クロマニョン人は「およそ4万5000〜1万4500年前の後期旧石器時代に、ヨーロッパに暮らしていたホモ・サピエンス(新人)」となる。クロマニョン人は私たち現代人と同種の人類で、ネアンデルタール人はその一段階前の、やや原始的な人類だった。

どちらも野生の動物や植物を狩猟採集し、洞窟などを利用して暮らしていたが、両者の技術と文化には大きな違いがあった。渓谷の「装飾された洞窟」、つまり動物の色彩画や線刻や浮き彫りが施された25の洞窟は、どれもネアンデルタール人ではなく、クロマニョン人の所産だ。

ラスコー洞窟の壁画 Photo by Getty Images

興味深いのは絵の質やモチーフだけでなく、彼らがそれを地下の洞窟の中に配置したという事実だろう。当たり前だが洞窟内は暗闇の世界であり、そこはハイエナがねぐらにし、クマが冬眠の場とすることはあっても、本来、霊長類が入る場所ではない。クロマニョン人はそこに、窪みのある石に動物の脂などを入れて火を灯した「ランプ」を持って、入り込んだ。

つまりクロマニョン人は並々ならぬ労力を割いて、地底にある暗い自然の空洞を、躍動的な別世界に変えてしまったのだ。