今の日本、寅さんだったらどう思うか…日本人が怒らなくなった理由

平成時代の「暗黙のルール」
菊池 正史 プロフィール

「寅さん」が真顔で「私より馬鹿がおりますか」と応じて観客の笑いを誘うのだが、その純粋さを通して、社会の矛盾や薄汚さを感じ取り、そこを上手く泳ぎながら富や地位を得た「許せんバカ者」への「怒り」に、人々は共感した。

 

「寅さん」は、大学教授、小説家、画家、役人、サラリーマンなど、世間体や面子、プライドといった社会性に縛られたインテリやエリートたちを、しかりつけ、説教した。そこからは、社会的な虚飾、屁理屈を剥ぎ取って人を愛し、家族を思い、こまっている人たちに手を差し伸べることの大切さが伝わってきた。そんなところにも、「寅さん」人気の秘密があったのではないか。人々が「寅さん」を許し、共感した時代だった

かつて日本人は元気よく怒っていた。働く人も、学生も、不満をぶつけて数万人規模でデモに参加し、国会を取り囲み、街にあふれ、警察と衝突した。ベトナム戦争が長引けば、アメリカに対しても怒った。

「寅さん」が元気だった70年代だけではなく、80年代から90年代にかけては、政治とカネの問題に憤った。役人の天下りや、税金の無駄遣いにも激高したものだ。

怒らなくなった日本人

今では、「寅さん」のように、他人のことを 怒鳴りながら本気になって怒る人も少ない。「怒る」という行動そのものに、「ノスタルジー」が漂いつつある。すっかり日本人は怒らなくなった。むしろ怒る人に冷ややかな視線を浴びせる。怒る原因に共感したとしても、怒るという行為自体を嫌悪する。

スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫は、今回の「男はつらいよ」を観て、「今はどう考えても居場所がない。そういう寛容さが失われてしまった。(中略)この50作目は寅さんの居場所がなくなっちゃったことに対する怒りの映画だ」(週刊文春2020年1月2,9日号)と述べた。しかし、今、「怒る寅さん」の居場所がなくなったことを怒る人は少なかろう。

山田自身も「60年代から70年代にかけての日本は元気があった。若者がすごいバイタリティーを持っていたことも含めて、日本は元気があった」と振り返りながら、こう嘆いている。

「政府にいろんな問題が起きるけど、学生はうんともすんとも言わない。50年前だったら学生は大デモンストレーションを起こしている。(中略)怒るべきことがいっぱいあるのに、怒らなくなってしまった」(2018年8月11日「第7回新藤兼人平和映画祭」)

これだけ問題だらけでも、怒らない

森友問題をめぐる財務省による公文書改ざん、政府統計の不正、「桜を見る会」の招待者の野放図な増加、カジノを伴うIR=統合型リゾート整備に絡む汚職事件などなど、次々に問題が発覚し、そのたびに政治と行政の嘘や隠蔽、ごまかしが指摘されている。さらに疑惑にまみれると、逃げ回り、口だけで謝罪する。

安倍政権の政策に基本的に賛成のスタンスだという元大阪市長の橋下徹でさえ、「何の罪悪感を抱くこともなく公文書をいとも簡単に廃棄してしまう政府の姿勢には恐ろしさを感じる」(毎日新聞2020年1月22日)と批判している。

一国の首相である安倍晋三を筆頭に党幹部も「説明責任が重要」と言うものの、その責任を真剣に果たそう、果たさせようとしない。国会でも、壊れたテープレコーダーのように、同じ答弁を繰り返す。批判が続くと少しずつ答弁を修正する。

それでも、今は、誰も本気になって怒らない。怒らないから「居座る」し「居直る」。これだけ問題を抱えても安倍内閣の支持率は高い。