「左翼/右翼」の意味をはじめて知った学生と考える「政治意識」のこと

フランスと日本の狭間で
西山 雄二 プロフィール

「私が投票しても政治は変わらない」と言うけれど

私の授業では、小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書、2012年)を参照しつつ、社会運動をめぐる論点を紹介する。多数の学生らが抱いていると思われる論点を示して、より広い視野から十分に考えてもらう。

「外国人にはデモ文化があるけれど、日本にはそうした文化はない。」「外国人は公に意見を言う性質だが、日本人は控え目だからそうした運動は根付かない。」「福島事故のときにはあんなにデモが盛り上がったのに、長続きしないで、日本人は熱しやすく冷めやすい。」「自分たちとは関係のない一部の特別な人々の盛り上がりだ。」「結局、特定の政治組織が準備して動員をかけてデモは実施されている。」「ただお祭り騒ぎに興じて感情的に騒いでいるだけで、真面目に政治を考えているようにはみえない。」

 

学生からのコメントでは、「私ひとりが投票しても、社会運動をしても、政治は変わらない」との意見もある。授業では、こうしたシニシズムに対して明確に回答しておく。それは「王様気分の世界観」ではないか。自分が王様になった気分で政治を語り、自分なりに一国が動かなければ気が済まない誇大妄想的な意識だ。

一方で、社会全体が急に変わるならば、それはそれで恐ろしい状況だろう。圧倒的な権力がなければ、急激な変革は難しいからだ。多方で、社会は私たちひとりひとりの生活に即して、毎日、少しずつ変わり続けている。

社会は、とりわけ民主的な状況では、そうしたミクロな変化の集合でしかない。そうした変わり続ける社会のなかで、何が公的な問題なのかを目に見えるようにする点に社会運動の意義はある。だから、感覚的に、必要以上に社会運動を蔑んでしまうと、私たちの未来への可能性がいくらか失われてしまう。