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「死刑」を宣告した裁判官が語った「判決を読む時に考えていること」

精神を病む裁判官もいる

死刑——。人の命を奪う究極の刑。その判決を下す裁判官には、想像を絶する精神的な負荷がかかる。判決文を読む時、彼らは何を思うのか。『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』を上梓した岩瀬達哉氏がレポートする。

記憶から消えない…

一度でも死刑を宣告したことのある裁判官にとって、その法廷と判決朗読の時間は、記憶から消えることはない。

「同じ死刑判決であっても、死刑か無期かで悩むのと、死刑か無罪かで悩むのでは大きな違いがある。死刑か無期かは、量刑の判断ですからまだ比較的楽なんです。しかし死刑か無罪かは、天国か地獄でしょう。そういう事件ってあるんですよ」

元裁判官の小林克美は、大阪地裁堺支部の裁判官時代、犯行を否認している被告人に死刑を言い渡したことがある。状況証拠から言えば99・5%犯人だが、残り0・5%は違う可能性もあると悩んだ末の判決だった。

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事件は、宝石商の夫婦二人が殺害され宝石が盗まれたというもので、被告人は、自分が家を訪ねたところすでに二人は殺されていた。それで宝石だけを盗んで質屋に入れただけだと弁明して、殺人に関しては否認を貫いたのである。被害者の二人は何の落ち度もないうえ、殺され方も包丁でめった刺しにするという残忍なものだった。

殺人を認めれば迷わず死刑判決が下せる事件であったと、小林は続けた。

「前科もあり、嫁さんを青線で働かせてその金で遊んできたような被告人ですから、弁明はウソだと思ったんだけれど、窃盗だけの可能性がまったくないわけじゃない。それで、本当にやってない人間の言い分なのかどうかを見極めようと、何十回となく法廷で被告人の顔を睨みつけたものです。

やってないなら、やってないんだ。助けてくれという訴えがあってしかるべきなのに、いっさい目を合わせない。あやしい事件って、そんなんですよ。『いままでいい加減に生きてきたけれど、これだけはやってないんだ』と必死で訴えるオーラがなかった。それが心証形成に作用したということですね」