フリー編集者の上松容子さんは、両親が30代のときに生まれたひとりっ子。東京で生まれ育ったが、両親は仲良く元気で、両親の兄妹も都内にいた。しかし父ががんで急逝すると、「ていねいな暮らし」をしてきた母・登志子が一気に認知症を発症したのだ。

上松さんには、実母と一緒に暮らせない事情も抱えていた。そこで相談したのが、しっかり者として町内でも有名な、母の実家に暮らす母の実姉・恵子だった。母と暮らすことを喜んで引き受けてくれ、ほっとしたのも束の間、実はその実姉も認知症の疑いがあり、どんぶり勘定で生活費も母の年金を頼っている現状を知る。しかも、二人の家はネズミが走り回るゴミ屋敷と化していた。

これは、名前のみを変更したドキュメント連載である。第6回となる今回は、母と伯母とに介護サービスをお願いしようとしたときの格闘をお伝えする。

上松さんの今までの連載「介護とゴミ屋敷」こちら

伯母は「女王様」

伯母は一家の姫君として育ったので、きょうだいを下に見てコントロールしたがる。物心ついてからそれが当たり前になっていて、横暴に振る舞っている自覚はまるでない。ジャイアンがほんとうは人情家なのに、表向きはただのガキ大将に見えるのと同じである。

かつて、伯母・恵子と母・登志子のさらに下の妹の幸子が、体調を崩して実家に戻っていた時期がある。このとき、伯母は末の妹に家事の大半を任せてしまった。

伯母にとって「面倒をみる」とは、弱った心を労わるのではなく、叱咤することだった。落ち込んでいたらますます調子が悪くなる。自分のように元気ハツラツに動いていれば、どんな苦境も好転する、と信じているのだった。それはある面では真実だ。しかし、伯母の物言いは辛辣で、心身共に弱っている人間にはきつすぎる。外の人間から見ると、姉妹はシンデレラと義理の姉のようだった。シンデレラ、お掃除は済んだの? シンデレラ、ご飯はもうできたの? 洗濯物は取り込んだのかしら、もう乾いたはずだけど。

末の妹は、あるときはっと我に返り、夫の元に戻って伯母の支配から脱したが、自由になるまで数年を要した。

伯母のこのスタンスは、母に対しても貫かれていた。母は膝蓋骨変形で、うまく歩けない状態だったのだが、どうやら末の妹と同様、家事全般を任されてしまっていたらしい。そのため、母は恒常的に不満を溜め込んでいた。伯母の留守に電話をかけてきては、「おねえちゃんはなんにもしないで、私にだけ全部押しつけて、遊びに行っちゃうの」「お金は全部持っていかれちゃうの」と訴える。

母からなんどもSOSの電話が…Photo by iStock

娘としては聞き捨てならない話なので、何度か直談判に行った。