「出版ビジネス」優先か?問われる講談社の「現在の立ち位置」

大衆は神である(84)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

講談社の歴史を追い続けた連載も、いよいよ最終盤。激動の時代を乗り越えてきた第4代社長・野間省一の言葉は、はたして現在の講談社に生きているのか――?

終章 戦後民主主義と講談社ジャーナリズム(2)

『月刊現代』のころ

この連載も終わりに近づいている。

ここでちょっと、個人的な話をさせていただきたい。

私は今から4半世紀前の平成8年(1996)夏、主夫兼フリーライターになった。野間省一が没してちょうどひと回り経ったときである。いま考えてみると、私も省一の残した空気のなかで仕事をしてきたこと、そしてそれはきわめて幸せなことであったことに、いまさらながら気づいたのである。それを「講談社ジャーナリズム」と称しても、あながちまちがいではないと思う。

20年勤めた共同通信をやめて、妻が仕事に出ている間に家事をし、空いた時間に取材する。原稿も書く。収入は少なくても快適な日々がしばらくつづいた。そうするうち、講談社『月刊現代』編集部の高橋明男(現社長室長)から「ウチの雑誌でまとまったモノ(連載)を書きませんか」と声がかかった。

駆け出しのライターにとっては願ってもない話である。

私は「読売のドン・渡邉恒雄(わたなべ・つねお)の評伝を書きたい」と言った。マスコミ界で際だつ彼の存在感に惹かれたからである。高橋は「ウン、それは面白そうですね」と言った。編集長ののゴーサインもすぐに出た。

 

それから、私は高橋とともに渡邉の足跡をたどる旅を始めた。しかし、取材は遅々として進まなかった。読売の現役社員はもちろんOBまで取材拒否の連続だったからだ。

読売には渡邉について語ること自体、勇気のいる空気があるらしかった。取材開始から『月刊現代』での連載を経て単行本化にこぎつけるまで3年余り、決して短い時間ではなかった。

その間、編集部はじっと我慢して待ってくれた。それよりもっとありがたかったのは、編集部が、読売側の反発を恐れて記事の内容に手加減を加えるような真似を一切しなかったことである。

私の古巣である共同通信はマスコミ界で最も自由な会社だといわれていたが、それでも私は何度か政治的な圧力を受け、悔しい思いをしたことがあった。

だが、『月刊現代』ではそんな心配をする必要がなかった。圧力に屈せず、言論の自由を守るのが自分たちのつとめだという気概が編集部に漲っていたからである。

読売から名誉毀損で訴えられる恐れも十分あったのに、高橋は「思う存分書いてほしい」としかいわなかった。今にして思えば、私はライター人生の出発点で、講談社ジャーナリズムの最良の部分とともに仕事をする恩恵に浴したのである。幸運だったというしかない。