〔photo〕母・優里被告と結愛ちゃん。地元・香川の海岸にて
# 事件

目黒区「結愛ちゃん」虐待死事件、母・優里が書いた「獄中手記」の中身

なぜ母娘のSOSは児相に届かなかったか
〈もうおねがいゆるしてください〉。悲痛な叫びを遺し、当時5歳の少女、船戸結愛ちゃんが命を落としてから2年。このたび結愛ちゃんの母・優里被告 (27歳)が獄中手記『結愛へ 目黒区虐待死事件 母の獄中手記』を上梓した。同事件を振り返る上で、誰しも思うことがある。2度も一時保護されていたのに、なぜ行政や警察は、結愛ちゃんを救えなかったのか――。同事件を精力的に取材してきたルポライター杉山春氏が、手記をもとに解説する。

「助けて」のひと言が言えなかった

優里は私への手紙にこう書いている。

〈何度も何度も出したSOS。助けてと素直にそのたった一言が言えなかった。私が悪いのかもしれない〉

〔photo〕優里被告が書いた獄中手記

なぜ、最後の一言「助けて」が言えなかったのか。何よりもまず、優里がDVにより、夫の支配下にあったからだと考えることは妥当だ。ただし、優里本人も当時は気づいていなかった。

 

優里は公判前、二人の専門家から治療を受けて、少しずつDVについて学んでいった。当初、治療を担当したNPO法人女性ネットSaya-Sayaの代表理事・松本和子は言う。

「初めてお会いした時、私が雄大を批判的に言うと、優里さんは私の方が悪いんです。そんなふうにさせたのは私なんですと返ってきた。雄大と自分との間に境界線が引けていないと感じました」

この時、優里は、自分自身が毎日何時間も雄大に説教をされて、結愛ちゃんの反省文と同じような文章を、毎日LINEに書いていたと話した。

「彼の思い通りに謝らないと、許してもらえなかった。どう謝ったらいいのか、答えを見つけるのが大変だったとおっしゃったので、それがまさDVなんだとお話ししました。

そうしたら、『私が最初に女性相談を受けた時、あなたは殴られたり、蹴られたりしていないので、DVではないと言われて、諦めた』とおっしゃった。香川県時代にDVの視点からの支援を受けていなかったことは、とても残念だと思いました」