優里は私への手紙にこう書いている。
〈何度も何度も出したSOS。助けてと素直にそのたった一言が言えなかった。私が悪いのかもしれない〉
なぜ、最後の一言「助けて」が言えなかったのか。何よりもまず、優里がDVにより、夫の支配下にあったからだと考えることは妥当だ。ただし、優里本人も当時は気づいていなかった。
優里は公判前、二人の専門家から治療を受けて、少しずつDVについて学んでいった。当初、治療を担当したNPO法人女性ネットSaya-Sayaの代表理事・松本和子は言う。
「初めてお会いした時、私が雄大を批判的に言うと、優里さんは私の方が悪いんです。そんなふうにさせたのは私なんですと返ってきた。雄大と自分との間に境界線が引けていないと感じました」
この時、優里は、自分自身が毎日何時間も雄大に説教をされて、結愛ちゃんの反省文と同じような文章を、毎日LINEに書いていたと話した。
「彼の思い通りに謝らないと、許してもらえなかった。どう謝ったらいいのか、答えを見つけるのが大変だったとおっしゃったので、それがまさDVなんだとお話ししました。
そうしたら、『私が最初に女性相談を受けた時、あなたは殴られたり、蹴られたりしていないので、DVではないと言われて、諦めた』とおっしゃった。香川県時代にDVの視点からの支援を受けていなかったことは、とても残念だと思いました」