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身の程知らずの欲求は国を滅ぼす―「権力のネメシス」とはなにか―

かつてのドイツ、そして日本も
明治維新から太平洋戦争敗戦による崩壊までを描ききった超力作『近代日本と軍部』の著者、小林道彦氏による特別寄稿文です。是非ご覧ください。

任侠映画に没頭した世代

1969年にピークを迎えた「大学紛争」の渦中にいた学生たちは、高倉健主演の任侠映画に熱中したと仄聞している。ここで「仄聞」と書いたのは、1956年生まれの私自身は「遅れてきた世代」に属しており、大学に入学した時分にはそうした学生は自分自身を含めて身近には見当たらなかったからである。

 

任侠映画の代表作の一つである『昭和残侠伝・唐獅子牡丹』(佐伯清監督、東映、1966年)については、市ヶ谷台に向かう車内で三島由紀夫が「楯の会」の同志とその主題歌を絶唱したことが知られている。

そして三島事件と言えば、当然のことながら二・二六事件(1936年)が連想されるが、後者は「白雪を血で染めた」悲劇的事件でもあり、その一部始終は、日本人のある種の美意識に強く訴えかける要素があるものと見え、青年将校のいくたりかを主人公とした映画やテレビドラマは、1980年代に至るまで何度も制作されてきた。

また、今では文字通り「歴史的音源」となってしまったが、昭和40年代ぐらいまでは、東京放送局が叛乱軍に投降を呼びかけた「兵に告ぐ」の放送音源は、昭和16年12月8日の「日米開戦」を告げる臨時ニュースなどとともに、しばしば昭和戦前期の「帝都」東京を舞台とするテレビドラマのなかで使われていた。

記憶はやや曖昧なのだが、NHKの朝ドラ『おはなはん』(林謙一原作、1966年)でも、2月26日の早暁、緊急の電話連絡(あるいは電報だったかもしれない)を受けた主人公はな(樫山文枝)の長男の新聞記者(津川雅彦)が文字通り雪を蹴って出社する情景が描写されており、子供心に大変強い印象を受けた覚えがある。

考えてみれば、当時は二・二六からまだ30年しか経っておらず、事件の記憶は社会全体に遍く共有されていた。ちょうど、今の中高年層が昭和天皇の崩御を思い出すようなものである。「兵に告ぐ」の音源が効果的に使用できた所以である。

あれからさらに50年あまりもの歳月が経って、昭和戦前期を舞台とするテレビドラマは画然と減ったような気がするが、それと同時に「兵に告ぐ」や「開戦の臨時ニュース」が演出として用いられることもなくなった。もっとも、玉音放送については、二度の改元があったためか、今でも時々テレビ等で耳にすることがある。

それにしてもなぜ、「全共闘世代」の多くは任侠映画に魅かれたのであろうか(あるいは、そう言われているのだろうか)。松田優作主演の映画「○○遊戯」シリーズ(村川透監督、東映セントラルフィルム)や一連の角川映画に親しんでいた筆者には、その辺がなんとなく分かるようで分からなかった。

二・二六に関して言えば、犠牲になった高橋是清や斎藤実、渡辺錠太郎はもちろんのこと、首相官邸で叛乱軍の前に立ちはだかって殉職された警察官の方々のことが気になって仕方がなかった。

本書は以上の違和感に対する今の時点での経過報告でもある。

近代日本においては「民主主義」と「実力行使」とは実は紙一重の関係にあったのかもしれないが、人民武装はアメリカ合衆国の草の根民主主義の土壌をなしているようでもあり、また、1920年代のドイツでは、大戦と革命の結果生じた「暴力的な政治風土」がナチズム台頭の政治的文化的培養基となったことなどもあり、我ながら結構厄介な問題に首を突っ込んでしまったとの感をぬぐい得ない。

いずれにせよ、私は板垣退助率いる自由党の準武装組織化にはびっくりしたし、明治期の選挙戦の「血で血を洗う」有様には本当に「度肝を抜かれた」。当時の政党政治家が「国士」的な風貌を帯びていたのも宜なるかなである。伊藤博文や星亨が「知的シンクタンク」として立憲政友会を創立(1900年)した理由の一端が、なんとなく理解できたように思われた(瀧井一博『伊藤博文』中公新書、2010年)。