あなたは自分の中に「天才」がいることに気がついているか

我々の心の中で「直観」が閃く理由
田坂 広志 プロフィール

なぜ、天才は、「叡智が降りてくる」と語るのか

例えば、版画家の棟方志功は、自らの作品を評して、「我が業は、我が為すにあらず」という言葉を残している。すなわち、それは、「自分の作品は、自分が創ったものではない。大いなる何かに導かれて生まれてきたものである」という意味であろう。

 

また、名曲「戦場のメリークリスマス」で知られる音楽家、坂本龍一氏は、この曲が生まれた瞬間について、ある対談で、次の興味深いエピソードを述べている。

「この曲は、二週間程度の作業の後、突然意識がなくなって、目が覚めたら譜面が書いてあったんです。ハーモニーの調整はありましたけど、まさに自動筆記みたい、自分が作った気がしないんですよ…」

このように、「天才」と呼ばれる人々の多くは、自分の仕事や作品が「大いなる何か」と繋がることによって、導かれるように生まれてきたという感覚を持っているのである。

「天才」を導く「大いなる何か」とは?

そして、ここで言う「大いなる何か」とは、ときに神、ときに仏、ときに天と呼ばれるものであるが、ここで重要なことは、「そうした神、仏、天と呼ばれる大いなる何かが存在するのか、否か」ではない。

ここで重要なのは、「天才」と呼ばれる人々が、自分の発想やアイデアが、そうした「大いなる何か」に繋がることによって「降りてくる」と感じているという事実であり、そのことが、「自己限定の払拭」と「隠れた才能の開花」という点で、重要な意味を持っているのである。

なぜなら、こうした「自分は、大いなる何かと繋がっている」「自分は、大いなる何かに導かれている」という感覚は、自然に、ある種の「全能感」=「自分は無限の力を持っているという感覚」に結びついていくからである。

すなわち、この感覚は、言葉を換えれば、「自分という小さな存在の限界を超えて、大きな力が与えられる」という感覚であり、それはそのまま、「自分の力を、自分という小さな自己の内部に限定しない」という意識、すなわち、「自己限定をしない」という意識に他ならない。

我々一般の人間も、「天才」になれる

従って、敢えて簡潔に述べるならば、「天才」と呼ばれる人々が、その才能を大きく開花させることができるのは、彼らが「自己限定」をしないからであり、彼らが「自己限定」をしないのは、彼らが「自分は、大いなる何かと繋がっている」「自分は、大いなる何かに導かれている」という感覚を持ち、「必要な叡智は、自然に降りてくる」という感覚を持っているからである

そして、もし、そうであるならば、我々一般の人間も、心の中に「自分は、大いなる何かと繋がっている」「自分は、大いなる何かに導かれている」という意識を持ち、「必要な叡智は、自然に降りてくる」と信じ、心の中の「自己限定」の意識を払拭することができるならば、我々自身の想像を遥かに超えた才能を開花させ、発揮することができるのであろう。