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「セレブリティ資本主義」がもたらすもの
池田 純一 プロフィール

セレブリティ資本主義

その昔、ジェントルマン資本主義、というものがあったけれど、それにならえば、今の時代は「セレブリティ資本主義」。

この新しい資本主義の根っこにあるのが、〈有名性〉という「むき出しのカレンシー」だ。経済活動(=交換)を加速させる潤滑剤が「カレンシー」の本質。したがって、それを「通貨」などと物理的な「貨幣」のイメージを伴う訳語にして使っている場合ではもはやないのだ。「カレンシー」のまま使い、その意味は「カレント=流れ」から、とりあえず「流れ性」とでも思っておけばよい。

人びとの手を渡っていく何か。

今の時代は、セレブリティとしての「有名性」がカレンシーとなり経済圏を生み出していく。ここで「カレンシー」は、通貨ではなく、受け取った人がみな、それを他者にトスしてもいいと思うような、また受け取る側もそのトスを引き受けてもいいと思うような「何か」のこと。

まさに「流れ性」であり「今性」。

そうして、人間社会の中で生々しい現実を作り出していく。

〔PHOTO〕gettyimages
 

セレブリティの常套手段は、自分たちの有名性を糧にして、オリジナルブランドを作り、それを通じておカネをかき集めること。誰もが手にすることができ、また手にする必要性に迫られるものとして、一番簡単に試みられているのが、ファッションの世界。グウィネス・パルトロウの「GOOP」もその一つ。

ソーシャルメディア以後の、政治は文化の下流、文化は政治の上流、という認識が定着しつつある現代において、ファッションは、20世紀後半にポピュラーミュージックが引き受けてきた役割をはたすようになってきた。ヒップホップ的な生き方といってもよいものだ。成功したラッパーの多くが、サイドビジネスとしてTシャツからファッションブランドを立ち上げる世界。そうして音楽だけでなくスタイルを生み出していく行き方。それがまたカレンシーになる。

音楽がヒップホップを中心にして、その場のノリやインスピレーション、インプロビゼーションを重視する「場の提供」に傾斜していったのに対して、ファッションは、具体的な「弾」、すなわち、特定の「生き様」を表象するもの、その限りで、ポリティカルなものに変わりつつある。周りを見渡せば、何らかのポリティカル・メッセージ、すなわち「こうあるべきだ」という「当為」のメッセージを語るデザイナーが増えている。裏返すと、デザイナーがどんなポリティカル・メッセージを出すかがすでに重要になった時代なのだ。人びとの「スタイル(=生き方、生き様)」の基礎を形作るのがファションであり、それゆえ「インスタの時代」では、ファッションは、小さな教祖が生まれる場所であり、その教祖が宿る場所である。

このように有名性の論理は、音楽との近接性から、ヒッポホップ的倫理を組み込もうとしている。有名になって自分たちの地位を築くこと。その有名性を糧にして、衣食住のような生活防衛型のサイドビジネスを始めること。ハリー&メーガンの「メーグジット」の話に引きつけるならば、彼らの有名性が、単にイギリスのタブロイド紙関係者の生計を支えるために醜聞ネタとして消費されるくらいなら、むしろ、その「関心」を糧にして、世界に打って出るくらいかまわないだろう、ということだ。