# 裁判所

日本の「裁判員制度」の発端には、裁判所の「責任逃れ」があった

かつて、最高裁長官はこう語っていた
岩瀬 達哉 プロフィール

矢口の勇名を轟かせたのが、人事権を背景にした強権的な司法行政だったとすれば、この種の政治感覚によるリスク管理能力は、その威厳を不動のものとした。身内をも欺きながら目的を達成する戦略に、最高裁の中枢を担うエリート裁判官たちが気付くのは、定年退官後のことだ。

元札幌高裁裁判長で北海道大学法学部教授だった渡部保夫も、矢口の本音に気付いていれば、また別の評価になっていただろうが、素直に陪審制の導入に賛意を示した。

「職業裁判官と異なり、陪審員は、証拠の評価や事実に関する洞察力について過大な自信をもつことはない。そのため、『本当に間違いない』と考えた時しか有罪の評決をしない傾向がある」

東京高裁〔PHOTO〕Gettyimages
 

法律論に縛られることなく、常識と良識でもって真実を見極めようとすれば「誤判」が生まれる確率はグッと減るというわけである。

「陪審制度」や「参審制度」の調査研究のため、米国、フランス、ドイツなどに派遣された裁判官たちもまた、矢口の本音を知らされていなかった。彼らは法律実務家として、素人が法廷に入ってくることへの強いアレルギーがあったため、皆が皆、帰国後、陪審制度について否定的レポートを書いている。ちなみに参審制度とは、基本構造は裁判員裁判と同じで、任期が参審員の場合は一定期間決められているのに対し、裁判員は事件ごとに異なっているという違いがある程度だ。