# 裁判所

日本の「裁判員制度」の発端には、裁判所の「責任逃れ」があった

かつて、最高裁長官はこう語っていた
岩瀬 達哉 プロフィール

矢口が退官後に著した『最高裁判所とともに』によれば、「陪審制度」の導入を唱えたのは「法律技術の専門家が必ずしも良き裁判官ではない」「良き法律家が良き裁判官であるためには、その前に良き常識人、良き社会人でなければならない」との問題意識があったからだ。裁判官に、良き社会人としての常識を身に着けさせるには、一般国民の司法参加が欠かせないというわけである。

しかしこれはあくまで建て前であって、本音は別のところにあった。

 

「批判をかわすことができる」

最高裁事務総局勤務が長く、矢口の人となりを熟知する元最高裁判事の泉徳治は、その本音について『一歩前へ出る司法』のなかで解説している。

「陪審制度導入は矢口さんが言い出したことなのです。これは独特の政治感覚ですね。死刑判決が再審で無罪になった事件が四件もあり、職業裁判官は何をやっているんだという話になりましたね。これが陪審裁判だと、国民が判断したことになるので、仮に再審で無罪となっても、批判の矛先が裁判官ではなく陪審員になる、裁判官は批判をかわすことができる、という政治感覚です」

矢口が長官に就任する2年前の1983年には「免田事件」で死刑囚となっていた免田栄が、そして翌84年には「財田川事件」の谷口繁義と、「松山事件」の斎藤幸夫の二人の死刑囚も再審裁判で無罪となっている。さらに長官在任中の1989年には「島田事件」の赤堀政夫死刑囚もまた再審無罪となった。

当然のごとく最高裁は国民からの厳しい批判に晒され、その風圧をまともに受けることになった矢口は、誤判による非難を回避できる仕組みとして陪審制を構想したのである。