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日本の「裁判員制度」の発端には、裁判所の「責任逃れ」があった

かつて、最高裁長官はこう語っていた

2009年から始まった日本の「裁判員制度」。もともと導入の端緒には、強烈な個性で知られる、かつての最高裁長官・矢口洪一がいたたが、その目的の一つは、裁判所の「責任逃れ」だったという。裁判官たちの素顔に迫った『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』を上梓したジャーナリストの岩瀬達哉氏が指摘する。

司法制度改革の時代

21世紀の司法が果たすべき役割を議論するための「司法制度改革審議会」は、1999年7月から約2年にわたり開催された。その意見書をもとに、「法曹人口の大幅増員」「裁判員裁判」「日本司法支援センター(法テラス)」「法科大学院」などの制度があらたに作られたが、最も象徴的だったのは「下級裁判所裁判官指名諮問委員会」であろう。

下級裁判所裁判官指名諮問委員会ができたおかげで、10年ごとに地裁や高裁の裁判官を対象に再任か再任拒否かを決める審査の透明性が担保されることとなった。

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それまでブラックボックス化していた裁判所内での単独審査から、裁判官、検事、弁護士のほか学者、ジャーナリストなどから構成される同諮問委員会によって、その適格性が判断されるようになったからだ。かつてのように能力や適性と関係のない、思想、信条などで裁判官の身分を奪われることはなくなったのである。

裁判官の身分保障を名実ともに確かなものとするこの制度は、理不尽にもその身分を奪われた元裁判官と、不本意ながらその身分を奪った元最高裁人事局長が30年という時を経てもたらしたものだった。1971年4月、「平賀書簡」流出(※)の犯人とされ、理由を告げられることなく再任拒否となった熊本地裁の判事補だった宮本康昭と、その宮本に再任拒否を言い渡した人事局長でのちに第11代最高裁長官となる矢口洪一である。

(※)航空自衛隊の基地設置の可否をめぐる裁判において、札幌地裁の所長が、担当裁判官に、判決についての「アドバイス」を行なった問題。裁判官の独立を損なう事件として知られる。