2020.02.02
# 裁判所 # 司法

裁判官がソフトで検索して「コピペ判決」を書いている…残念すぎる事実

「効率」と「出世」を重視すると…
岩瀬 達哉 プロフィール

ある若手裁判官は、伏し目がちにこう言った。

「わたしは、どちらかというと厚顔無恥なほうなので言いたいことは言うんですが、打たれ弱い後輩がいるのも事実。部総括(裁判長)と違う意見を言って反論されたら、直ぐ引っ込めたほうが楽といえば楽ですから。この事件では、部総括に絶対負けないという気概のある人が全体的に減っている。また、部総括にしても、部下の意見を受け止めるキャパに欠ける人が増えているように思います」

もちろん、すべての裁判体において、合議が尽くされていないわけではない。

あるベテラン裁判長は、穏やかな口調ながら熱意のこもった声で語った。

「僕なんかは、意見が分かれた時は、最終的にみんなが納得するほうがいいから、日を置いてもう一回合議する。とことんやるなかで、僕が意見を変えることもあるし、部下の裁判官が意見を変えることもある。合議を尽くすことは裁判を練り上げるだけでなく、裁判官自身の成長にも繋がるので、いつも、とことんやりましょうと言っている」

 

裁判官にとって「良心」とは何か

憲法で保障されている「裁判官の独立」と「身分保障」は、独自の意見を述べる権利を守るためのものだ。政治勢力や社会情勢を気にすることなく、「良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」のが裁判官だからだ。

かつて、この「良心」という言葉を、最高裁は大法廷判決の中で定義したことがあった。「裁判官が良心に従うというのは、裁判官が有形無形の外部の圧迫乃至誘惑に屈しないで自己内心の良識と道徳感に従うの意味である」——

外部からの不当な干渉を撥(は)ね退(の)けることを説きながら、しかし司法行政を介しての「内部の圧迫」や「誘惑」には触れることはなかった。彼ら自身、上下関係にうるさい最高裁に身を置いていることもあって、「良心」を歪めかねないそのような日常があることについて、当たり前すぎて意識することもなかったのだろう。

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