他人との置き換えが可能な社会

根源的な安心感の大切さを語った上で、森岡氏の話はれいわ新選組に戻って いった。

森岡「どんな人でも生きてていいんだというのは、れいわ新選組の山本太郎さんのメッセージですよね。根源的な安心感という考え方にとても近いことを彼は言っているように見える。どういう根拠、背景があって言っているのかはちょっと分からないですけど。こういったメッセージを出したのは別に彼らだけじゃなくて、今までもいろんな政党の人が当然言っています。けれども、既成政党 はやっぱりバックでサポートしている既得権益の団体の縛りをどうしても強く 受けてしまうから、そのメッセージがストレートに届ききらなかったんじゃないかと思います」

――既得権益の縛りがあるとメッセージがぼやけてしまうのはなぜですか。

森岡「たとえば日本共産党や立憲民主党には、それぞれ組織的なバックがあって、 組織の論理で固定票をつかんでいるところがあるじゃないですか。労組との関係とか、政党への昔からの支持とか。それがあると、多かれ少なかれ現状維持になっていく部分がある。れいわ新選組には今のところ、それがないように見える。その意味で言うと、れいわが今後大きくなって組織化を図っていけば、 また同じことになる可能性はありますよ」
 
現代社会は根源的な安心感が欠けている。この状況を変えるためには、なにかしら現状を打破していくしかない。そのとき既存の組織がバックにあると、どうしても現状維持の方向に舵が向いてしまう。森岡氏の話を、わたしはそう理解した。ではいつごろから、社会の根源的な安心感は失われていったのだろうか。聞いてみた。

森岡「近代化というものが始まった 19 世紀くらいから、100年、200年くらいかけてじわじわと奪われていったものだと思いますよ。近代化とは、人びとを置き換え可能なコマとすることによって、富を蓄積していくシステムです」

「世界に一つだけの花」という歌が流行したのも、コマ扱いがありきだ Photo by iStock

――人間をコマ扱いするのは、根源的な安心感とは真逆ですね。 

森岡「真逆です。いつでも他人と置き換えられるし、ある条件を満たさなくなったら、みんなからおまえはもういらない、と言われる社会ですよね。でも、このシステムは人間に富と長い寿命をもたらしたので、我々は簡単にはその路線から外に出られない。200年かけてこのシステムに乗ってるから、一朝一夕になんとかできる話じゃない。これは文明論的な問題です」