なんのために生きているのか

ここまで聞いてわたしもようやく理解しはじめた。ありのままの姿を受け入れられず、いつもあるべき姿を追い求め、なにかにせき立てられるように生きているのは、健常者の側なのかもしれない。

――たとえば貧困の人をみたとき、ああならなくてよかったと思ってしまうことがあります。そう思う自分は、貧困に陥らないために会社にしがみつき、私生活などを犠牲にしているのかもしれません。 

森岡「近いんじゃないですかね。それで苦しくなっていくわけでしょ。お金は入ってくるけど、結局なんのために働いているのか分からない。なんのために生きているのか分からないという状況になっている人って、結構いると思います」

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恵まれているはずの健常者、マジョリティーの方が、実はシンプルに生きる喜びを感じられなくなっている。傾聴に値する話だと思って聞いていたところ、森岡氏がくぎをさすように付け加えた。

森岡「ただし、この話は表の層と一個下の層と二つの層があることを前提にしないと、誤解されていきます。れいわのお二人は、表の層では生きづらいわけですよ。だからこの状況を変えてほしいと言っている。正しい主張です。これが表の層にある。だが、その裏側で、彼らはいまマジョリティーが感じていない喜びをもって生きている、という二重構造になっている。どっちも重要なんです。上も重要、下も重要。

この話はこのような形で語らないとすぐ誤解されてしまう。上と下もどっちも大事という話がないと、障がい者は輝いているからそのままでいい、と受け取られてしまう。これは誤解です。障がい者たち、あるいはほかの生きづらい人たちがいま置かれている状況は改善されなければいけない。しかし私が言いたいのは、彼らから受け取るべきメッセージはそれだけだと見積もるのはかなり浅い見方だ、ということです」