# ジェンダー

かつて「女の子写真」の枠にはめられた、女性写真家からの異議申し立て

賞賛の裏に隠されていた差別
長島 有里枝 プロフィール

大人の男性が生み出したカテゴリー

ここでふたつの問いが浮かぶ。ひとつめは、表現者の性別のみを根拠とした芸術の潮流というものが成立可能なのか、というもの。ふたつめは、可能だとすればどのような場合にそういえるのか、というものだ。

 

ひとつめの問いに答えるには、「女の子写真」が大人の男性に生み出されたカテゴリーだった点に注目する必要がある。

飯沢の論考では「女の子」に対して「男の子」というグループが措定されるが、男性写真家だけでなく、彼女たちについて饒舌に語りたがる人々の多くもまた「かつて男の子だった者」たちであって「男の子」ではない。あたかも対等な存在であるかのように「女の子」に対置される「男の子」は、存在しないどころか実は、彼女たちをたやすく社会的にねじ伏せることができる“強者”だったのだ。

「女の子写真」の言説を鵜呑みにしていた人の多くは、「女」という抽象的で、「僕ら」とは対極に位置するらしい存在を、だから自分たちの領域である“正統な”写真の系譜にはそぐわないのだと疎外して、その行為を正当化した。つまり、「女の子写真」というカテゴリーには、若い女性だというだけで特定の写真家を周縁化する“効果”があった。

そのような側面はしかし、表向きには賞賛したり、容認したりしているかのような論客たちの語りによって隠蔽されていた。彼らは「女の子写真家」を過剰な熱狂をもってもてはやしたが、そうした賞賛は彼女たちの若さや可愛さ、女らしさなど、およそ写真とは関係がない部分に対してのみ惜しみなく注がれ、彼らのルールで築き上げた領域である「写真界」に彼女たちが足を踏み入れることは許さなかった。