# ジェンダー

かつて「女の子写真」の枠にはめられた、女性写真家からの異議申し立て

賞賛の裏に隠されていた差別
長島 有里枝 プロフィール

冒頭部に置かれた「少女環境と写真の現在」というテキストのなかで、写真評論家の飯沢耕太郎は次のように書いている。

これまでHiromixについて書いてきたことは、もちろん彼女だけでなく他の“女の子写真家ガールズ・フォトグラファー”の一人一人にあてはまる。

このテキストでは、それまで圧倒的な男性社会だった写真界に、若い女性がいかに新しい風を吹き込んだのかが論じられている。しかし、その言説はすべての写真家を「女の子」と「男の子」(飯沢は男性写真家を「かつて男の子だった者たち」として、こう呼ぶ)の二種類に分け、それぞれの撮る写真とその撮りかた、使う機材とその使いかたの違いを、性差のみに集約して比較するものだった。

例えば、「女の子」たちは「ポーチの中にごちゃごちゃ詰め込まれた化粧品とほとんどかわらない」存在であるコンパクトフィルムカメラを「ぞんざいでいい加減に」使って「好きなもの、魅力的なもの、カワイイものが目の前に現れた瞬間をとらえる」と説明されているのに対し、「男の子」は「フェティッシュな呪具」としてのカメラを「いつでもぴかぴかに磨き上げ、手入れし」、それで「不安をえぐり出し、不幸を断罪する」写真を撮るのだと説明される。

〔PHOTO〕iStock
 

また、「男の子が撮影した写真を“読みとる”には(略)定められた文法に従って、写真を解読していかなければならない」のに対し、「女の子」の写真は彼女たちの「肉声」だとされ、「ただその“声”に耳を傾けていれば」「囁きも、叫びも、歌も、物語も、ナチュラルに耳に入ってくる」と解説される。2010年に上梓された『「女の子写真」の時代』(飯沢 2010, NTT出版)のなかでは、このような差は「女性原理」と「男性原理」の違いから起こるものだと論じられている。