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日本が「長期停滞」から抜け出せない、たった1つのシンプルな敗因

日本批判のガラパゴス度を笑う
大原 浩 プロフィール

男尊女卑はカトリックの伝統である

日本を「男尊女卑社会」だと批判する人々がかなりいる。もちろん、一定の状況下でそのようなことが起こるのは事実である。

しかし、まず「男と女」は違うという「科学的に明らかな事実」と向き合うべきだ。例えば、杓子定規に、何事においても「男女同数」にすることの愚かしさは8月31日の記事「男女同比率人事の『強要』が日本企業のマネジメントを破壊する可能性」で述べたとおりだ。

 

さらに、日本は歴史的に「男女平等の傾向」を持つ社会であり、「男尊女卑」という思想はむしろ明治期の「文明開化」によって輸入されたものであることは意外と知られていない。

意外に思う読者も多いと思うが、元々戦闘集団であった武家社会は別にして、貴族では紫式部や清少納言のような女流作家が輩出している。また、邪馬台国の伝説の卑弥呼はもちろんだが、過去8代10名の「女性天皇」(すべて「男系天皇」である。「女性天皇」と「女系天皇」はまったく異なる概念)が誕生している。

また、庶民の間でことさら男尊女卑的な風習があったとは言えない。戦闘集団の武家社会でさえ、北条政子のような逸材を生んだのだから、少なくとも諸外国に比べて日本がことさらら「男尊女卑」的社会であったという証拠はないのだ。

それに対して、現代の西洋文化の基礎とも言えるキリスト教(カトリック)での男尊女卑は徹底している。

まず、教会設立以来女性の教皇(法王)は1人も誕生していない。855年から858年まで女性のローマ教皇ヨハンナが在位したという中世の伝説があるが、創作と思われる。もしその話を信じるにしても、女性では絶対に教皇になれないので、「男装して男として教皇になった」という話である。

しかも、教皇だけではなく、枢機卿・司教・神父に至るまで聖職者に女性は1人もいないのだ。

さらに、極めつけは「マグダラのマリア」を娼婦にしてしまったことである。もちろん聖書にそのような記述はない。

マグダラのマリアはキリストが磔にされた時、男の弟子たちは自分たちに類が及ぶのを恐れ逃げ隠れしていたのに、母親のマリアとともに最後を見守った勇気ある人物である。また、ジーザス(キリスト)の身近に常に寄り添い「(事実上)結婚していたのではないか」とも言われる。

また、「キリストの復活」を目撃した最初の女性であり、その出来事がなければキリスト教は生まれなかったかもしれない。「復活」は極めて重要な要素で、それまでは単なるユダヤ教の改革派に過ぎなかったものが、「キリスト教」として独立するきっかけともなった。

普通に考えればキリスト教の創始者とも言えるマグダラのマリアを、捏造によって娼婦に貶めたのは、カトリックの「男尊女卑」体質の象徴だ(カトリックに関する諸問題は12月13日の記事「ローマ教皇に言いたい、バチカンこそが難民を受けいれるべきです!」を参照)。

要するに、欧米はカトリックを中心とする男尊女卑社会が長く続いたために、それを打破するための「女性解放運動」も激しく盛り上がったが、日本では歴史的に「男尊女卑」が緩かであったため、文明開化以降輸入された「悪貨=男尊女卑」を排除するだけでよかったのである。

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