日本を代表する憧れリゾートの一つである星野リゾートは、なぜこれほどまでに多くの人を引きつけるのでしょうか? ホテルジャーナリスト・せきねきょうこさんならではの視点でその魅力に迫ります。第1回は、星野リゾートの原点「星のや軽井沢」をご紹介します。

星野リゾート生誕の地“軽井沢”は、
昔も今も特別な場所

開業から15年、清浄な空気の中で木々は立派に育ち軽井沢の美しい森の一部として形成されている。リゾートの庭には豊かな水を湛える池や棚田、渓流があり、四季を通して自然の移り変わりを楽しめる。

標高1000m近い森に包まれる「星のや軽井沢」は、清涼な水を湛える高原リゾート地“軽井沢”の中央部に佇んでいます。「星のや」ブランドがこの地に生まれたのは2005年。前身の「星野温泉旅館」として、軽井沢で最初の旅館を開業したのが1914年のことですから、星野リゾートは、世代交代を経てすでに100年以上もの長い年月を歩んできました。

谷の集落として生まれたリゾートの客室は3タイプ。写真は川に面した「水波の部屋」。他に、山側に位置した静かな「山路地の部屋」、そして中心から少し路地を入った戸建て、ゆったり感のある「庭路地の部屋」。

舞台となっている軽井沢が、日本有数の避暑地としてスタートしたのが1886年と言われています。都心からも近い風光明媚な観光地として、現在も大変な人気ですが、もともと軽井沢には大自然が織り成す“気”の良さがあり、高原特有の涼しく清浄な空気のもとで緑濃い野生の森が広がっていました。

水辺の部屋にはテラスが造られ、瀬音に癒やされ、夕刻には毎日点される水行灯が楽しめる。

今となっては、開業当時「星野温泉旅館」が与謝野鉄幹・晶子夫妻が名付けた「明星館」と呼ばれていたことを知る人は少なくなりました。当時も、良質の温泉や避暑地としての快適な環境を求めて、都会からも多くの文化人が訪れる宿として人気を博していました。

1921年に始まった「芸術自由教育講習会」には、内村鑑三、島崎藤村、北原白秋など、そうそうたる顔ぶれがこの宿に集ったと言われていますから、軽井沢に佇む「星野温泉旅館」は、当時、アカデミズムの漂う知識人たちのたまり場のようだったのでしょう。

開湯1915年、源泉掛け流し「トンボの湯」は檜造りの内湯と露天風呂から成る。朝8:30~10:00以外は一般の観光客も入浴可能な大人気温泉。そもそもなぜ“トンボ”? それは、かつてこの場所に多くのトンボが飛んでいて、豊かな自然の象徴であったため。

現在、森の散策や癒やしの温泉「トンボの湯」、雑誌から抜け出したような洒落た店が連なる「ハルニレテラス」などを楽しむ人々、星野エリアは、季節を問わず多くの人々で賑わっています。浅間山の山麓から連なる広葉樹の多い生き生きとした森に囲まれたこの地こそ、まさに「星野リゾート」の原点と言えるでしょう。

軽井沢の歴史を辿れば、気の遠くなりそうな縄文時代まで遡ると言われています。それほど遠い歴史はともかく、今なお軽井沢が特別の場所として存在感を保ち続けているのには幾つもの理由がありました。

「星野温泉旅館」はもちろん、古くから住む人々や、昔から別荘を所有する人々の“己の町への誇りと愛情”により、必然的に生まれた「軽井沢町民憲章」を厳守することで、貴重な高原リゾート地の特別感が保たれてきたと言っても過言ではないでしょう。今、星野リゾートのある軽井沢は、こうした努力の積み重ねによって自然が守られ、美しい情景が保たれているのです。

庭の一角に造られたデッキには冬でも椅子とテーブルをセット。四季を通じて、ここでは季節に応じて“おもてなし”のサービスがある。

1973年8月1日に制定された軽井沢町民憲章の始まりには、「わたくしたちは、国際親善文化観光都市の住民にふさわしい世界的視野と未来への展望に立って、ここに町民憲章を制定します」とあり、5項目が記されています。

軽井沢は常に自然と共にあり、そこに暮らす住民はグローバルな感性で、誇りと威厳を持って軽井沢の町を守り、すべての来訪者を温かく受け入れようという、アイデンティティがひしひしと感じられます。