# 特攻 # 戦争

戦場秘話…命がけでフィリピンを脱出した搭乗員、下された「非情命令」

「残るも地獄、去るも地獄」の戦場
神立 尚紀 プロフィール

到着した搭乗員を待っていた「非情な命令」

激戦地ラバウルや硫黄島で戦い、日本海軍きっての歴戦の零戦搭乗員だった26歳の角田和男少尉(のち中尉、戦後は開拓農家。1918-2013)も、徒歩で行軍した搭乗員のうちの一人である。

角田はフィリピン上空で零戦を空輸中、乗機のエンジンが故障、マニラのニコルス基地に部下を引き連れ4機で着陸したところ、「このなかから一名を選抜して特攻隊員として残せ」と命じられた。部下を差し出すぐらいなら自分が残るしかない、と特攻を志願、以来、特攻隊の直掩機(爆弾を搭載した爆装機を掩護し、戦果を確認する)として、仲間の体当り攻撃を見届ける辛い出撃を重ねている。

角田和男少尉(のち中尉)。海軍きっての歴戦の零戦搭乗員だったが、部下たちを庇って自ら特攻隊員となった(右写真撮影/神立尚紀)

角田が行軍のためバンバンを出発するとき、局地戦闘機「紫電」で編成された第三四一海軍航空隊司令・舟木忠夫中佐が山ごもりの陣地からわざわざ見送りにきた。舟木は半年前、角田が二五二空に属し硫黄島で戦ったときの司令である。三四一空は飛行機のほとんどを失い、舟木は陸戦隊指揮官の一人としてこの地に残ることになったのだ。

「航空隊司令は、搭乗員しか腹心の部下がおらず、搭乗員を帰して一人残られるのが気の毒でした。私は、予科練で陸戦の小隊長としての訓練は受けているし、部下の搭乗員が10人近くいたから、舟木中佐とここに残って指揮小隊として戦うべきか、迷いました。いまでも、あのとき残ってあげればよかったなあ、と後悔しています」

 

一緒に行軍した搭乗員のなかに、角田が練習生の頃から実戦部隊に出るまで、同じ航空隊でともに訓練を受けた岡部健二飛曹長がいる。開戦以来、空母「翔鶴」零戦隊の一員として数々の激戦をくぐり抜けてきた29歳の岡部は、「特攻反対」を公言してはばからなかった。岡部は、大きな布袋にいっぱいの荷物を背負い、それを宿営のたびに広げてみんなに見せびらかす。荷物の中身は、シンガポールで買ったという女性用のハイヒール、香水、化粧品など。全て日本で待つ妻への土産だった。

「俺は、死なない。かあちゃんにこれを持って帰ってやるんだ」

岡部は言い、角田にも、

「角(つの)さん、特攻なんかやめちゃいなさいよ。ぶつかったら死ぬんだよ。戦闘機乗りは死んだら負けだよ」

と、特攻を思いとどまらせようとした。岡部の気持ちはありがたいが、一度特攻隊に組み入れられた以上、角田が自分の一存でそこから抜けることはできない。

「特攻反対」を公言してはばからなかった岡部健二飛曹長(のち少尉)

角田が、約200名の搭乗員とともにツゲガラオに着いたのは、長田と同じ1月25日のことである。

「搭乗員はふだん歩き慣れない上に、飛行服、飛行靴姿で歩くのは、重くて大変でした。一週間ほどで食糧もなくなり、あとはところどころに駐屯している陸軍のご厄介になりました。陸軍さんは自分たちが食うものも乏しいのに、苦労して行軍している戦友を見ると必ず助けてくれる。短い区間でしたがトラックにも乗せてくれましたしね。ずいぶん世話になりました」

ところが、やっとの思いでツゲガラオ基地にたどり着いた搭乗員たちに下されたのは、
『零戦が4機、整備されているので、ただちに士官1名、下士官兵3名の特攻隊員を選出するように』

という非情な命令だった。基地にはほかに、10数名の飛行服姿が見えるが、彼らは志願する気はないらしく、特攻隊員が着くのを待っていたようだった。

ここで選んだ4名は休憩の暇もなく特攻に出すが、残りの者は今夜、迎えの飛行機で台湾に送るという。角田は、はなはだ割り切れないものを感じた。

結局、一緒に行軍してきた予備学生十三期出身(長崎師範学校卒)の住野英信中尉が、

「どうせ早いか遅いかの違いですから、私がやります」

と志願して指揮官に決まった。

住野中尉以下の特攻隊は、第二十七金剛隊と命名され、ただちに発進した。だが、長く露天に置かれたままの零戦は十分な整備がされていなかったらしく、住野機はかろうじて離陸したものの、2機は故障で不時着し、住野機だけが直掩機・村上忠広中尉機と2機でリンガエン湾へと向かった。敵艦が見えたとたん、住野機はまっしぐらに突入してゆく。村上機もあとを追う。だが、途中、敵戦闘機の襲撃を受け、そこで村上は住野機を見失った。米軍記録によると、この日の特攻機による損害はなかった。

これが、フィリピンから出撃した最後の特攻機であった。

昭和19年10月からの約3ヵ月の間に、海軍の出した特攻隊の未帰還機は333機(陸軍は202機)におよぶ。いっぽう、昭和20年1月9日から2月10日までの間に台湾に脱出できた搭乗員は、約525人といわれている。