日本最恐の心霊スポットから生まれた「犬鳴村伝説」その誕生と現在

「この先、日本国憲法つうじません」
吉田 悠軌 プロフィール

犬鳴村伝説はこうしてできた

ここからは、犬鳴村伝説の成り立ちを簡単に解説していこう。

架空の「犬鳴村」のモデルとなったのは、かつて犬鳴川上流にあった集落だろう。しかしこの村は犬鳴ダム建設にあたり(1970年着工~1994年竣工)、ダム底に沈んでいる。住民は1985年に完成した移転先用の宅地、またはその他エリアへと次々に引っ越していった(参照『若宮町史』下巻)。

トンネルの方については、1975年に新道・新トンネルが開通したため、旧道および旧隧道の通行者はほぼ途絶えた。そして日本中で必ず起こる現象として、使われなくなった廃トンネルはあっというまに心霊スポット扱いされていく。

1979年、10kmほど離れた力丸ダムにて、女性の強姦殺人事件や、保険金殺人事件がたて続けに発生したことも影響しているだろう。とはいえこの時点では、ただの全国によくある心霊トンネルの一つというだけだったが……。

1988年末、決定的な事件が発生する。このトンネルを現場に、不良少年グループが「車を貸さなかった」というささいな理由で、地元青年をリンチの末に焼き殺したのだ。 

この残忍な殺人事件はむしろ現実的な恐怖だが、「若者が殺された白いセダンがトンネルに出没する」などの怪談にフィードバックされ、心霊としての恐怖を煽っていく原因にもなった(ちなみに事件に関係した車は軽自動車で、セダンではない)。

その後も、肝だめしに来た若者たちが自動車事故にあい、死亡や重軽傷を負うケースが2件発生(1992年および2001年)。これもまた「犬鳴の祟りにあった」という解釈を呼び、交通事故や不良に襲われるという現実的な恐怖と、心霊的な恐怖がドッキングされる。こうして旧犬鳴トンネルは「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれるようになったのだ。

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