『さよならテレビ』予告編より

映画『さよならテレビ』からテレビ報道の「構造的な問題」を読み解く

民放ローカル局の深刻な実態

遅ればせながら、映画『さよならテレビ』を見た。ドキュメンタリー論などとしては、すでに多くの方が話題にしているようなので、ニュースの制作過程とか、メディアビジネスの切り口から分析を試みたい。

この作品の制作動機や、結局何が明らかになったのかという問題はさておき、ニュースの制作現場の実態がつまびらかにされたという意味だけでも、資料的な価値が大きい映画である。

これまで、テレビ局や新聞社の内幕を題材にしたドラマは数多くあったので、一般の読者もオフィスの雰囲気など表面的なことは知っているはずだ。しかし本作では、断片的ではあるが、マスコミの中で働く人が実際にどのように仕事をしているのか、登場するスタッフたちが話す内容の端々から、知られざる実態や問題意識をうかがい知ることができる。

切り取られたシーンの背景にある問題を、ニュースの消費者にも理解してもらい、ニュースメディアの未来をみんなで考えていくことも、このような作品では特に意味のある作業になると思う。本稿では、作品の具体的なシーンを挙げつつ、テレビ報道の「問題のありか」について探ってゆきたい。多少ネタバレにはなるが、もしこの文章を読んだ後に映画を見ても、作品の鮮度は全く落ちるものではないとも思う。

 

「スポンサーの影響力」の現実

メインで描かれている3人のスタッフのひとりに、アラフィフの契約社員記者Sさんがいる。本作では状況説明などが最小限になっているため一部は推測するしかないが、Sさんのメインの仕事は、どうやら「Z枠」とこのテレビ局では呼ばれる、そして業界では「是非もの」と呼ばれる、有力なスポンサーなどから「何があってもニュースにしてほしい」と言われたパブリシティ枠を制作することのようだ。

彼がその「Z枠」のイベントを取材しているシーンには、取材を指示する社内文書の接写の映像が一瞬だけ写るのだが、その発信元が「秘書室」となっていた。筆者はテレビ局で番組の枠組みに関して最終決定権を持つ編成局や、スポンサーとの窓口となる営業局でも仕事をしていたが、その経験から推測すると、これはけっこう深刻な事態のように見える。

テレビ局では、スポンサーからの取材依頼などがあれば営業がとりまとめて優先順位を付け、編成や報道の担当者と交渉し、ニュースとして扱うかどうかを決定するというプロセスを踏むのが普通だ。少なくとも筆者の頃は、そのようにして業務が進んでいた。

民放とはいえ、すべてのスポンサーの要望を受け入れていては際限がなくなる。「特に大口のCM枠のセールスをした」とか「このイベントはバリアフリーに関するもので公共性をアピールできる」など、社内にも、そしてできれば対外的にも説明できるような説明を編み出す、「苦しい」仕事であった。