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高級タワマン浸水で価値が…人気の街「武蔵小杉」の知られざる歴史

こうして「交通の要衝」に発展した
大人気のエリア「武蔵小杉」――昨年の台風19号によって、大きく価値が揺らいでいる。そもそも武蔵小杉はいかにして成り立ったのか。交通という視点から、その歴史をたどる。
 

武蔵小杉駅、その意味と歴史

昨年の11月30日、相模鉄道とJR東日本の直通運転が始まった。

乗り入れルートは、東海道貨物線の横浜羽沢貨物駅に併設された相鉄羽沢横浜国大駅から新鶴見を経て、横須賀線や湘南新宿ラインが走る品鶴線(東海道貨物線)へと続く。羽沢横浜国大駅の次の停車駅は、武蔵小杉駅である。

武蔵小杉駅は、もともと東急東横線とJR南武線の乗換駅であったが、平成22年には横須賀線などが走る品鶴線の線路にもホームが完成して、新たな都心ルートが加わった。

品鶴線を横須賀線だけが走っていて武蔵小杉駅も無かった頃は、旅客は少なく、ラッシュ時でも混雑度は低かった。

それが、武蔵小杉駅ができたことで、周辺部の人口増加に加えて他路線からの乗り換えが増えて、今や東京圏で有数の混雑路線(平成29年度武蔵小杉~西大井間最混雑1時間平均196%)である。武蔵小杉到着時にすでに満員で、乗るのも一苦労という状況である。

東京駅まで20分かからないという利便性から、駅の周辺部は市街地再開発が進められて、今やタワーマンション群に一変している。

かくして武蔵小杉は、都心と郊外を結ぶ重要な結節点に発展した。記憶しておきたいのは、その背景には、江戸時代からの素地があったということである。