鎌倉時代、禅僧・道元が「最新物理学の結論」にたどり着いていた!

アインシュタインも驚く「時間」考
吉田 伸夫 プロフィール

「われを排列しおきて」とか「つらなりながら時時なり」といったイメージは実に明快なので、私の著書で説明図を描く際に借用した。時間方向にいくつものひとがたが連なった人間の姿である。

もっとも、道元は、私のように「われ」として人間しか想定しない狭量な思索者ではない。彼は、人間や動物だけでなく、小石や瓦などの無生物も仏の現れと見る。有名な「悉有(しつう)は仏性なり(万物は仏そのもの)」という世界観である。

道元、スピノザ、そしてアインシュタイン。

超越者を世界の外に求めず、現実の世界がすなわち超越者だと見なす道元の世界観は、西欧思想とは根本的に異質なのか。そんな考えを巡らすうちに、ふとスピノザに思い至った。

スピノザ Picture by Getty Images

スピノザは、神学者でありながら、神による創造や奇跡を認めない。思想の根幹をなすのは、実体の単一性についての信念である。

主著『エチカ』では、「神以外には、いかなる実体も存在し得ず、考えることもできない」(第1部定理14)と主張される。

 

こうした思想は、宗教的であると同時に科学との親和性が高い。

アインシュタインがスピノザを高く評価したことは有名だが、宗教と科学に関する講演に、気になる一節があった(『アインシュタイン選集3』湯川秀樹監修、共立出版、67頁)。宗教的な確信に貫かれた人格として、スピノザと仏陀を挙げたのである。

アインシュタイン Photo by Getty Images

科学者であるアインシュタインは、外部の超越者による創造や奇跡は認められなくても、世界そのものが超越者だとする信念を合理的な宗教だと感じたのだろう。

とすれば、スピノザと並べるのに相応しいのは、記録に欠落の多い仏陀よりも、むしろ道元ではないか。

道元の思想は合理的だ。彼の時間論は相対論と整合的である。また、時間・空間は無限大だと考えたスピノザと異なり、道元は、時間の始まりや空間的な境界はないが、一顆明珠(いっかみょうじゅ――一個の曇りなき玉)に喩えられる閉じた世界を想定した。

これは、アインシュタインが提案した球面状宇宙に似ている。アインシュタインが『正法眼蔵』を読んだら、どんな反応を示したろうか。想像すると楽しい。