現在公開中のフランス映画『私の知らないわたしの素顔』は、バツイチ子持ちの50代女性がFacebook上で24歳になりすまして20代の男性と恋に落ち、次第に“24歳の自分”に人生を乗っ取られていくサイコロジカルサスペンスだ。

主演のジュリエット・ビノシュが演じるクレールは、大学教授として社会的にも経済的にも成功を収めている上に美しい女性。なのになぜ、彼女は“フィクションの若い自分”を作り出す必要があったのか——。監督のサフィ・ネブー氏に取材した内容をもとに、“SNS時代で女性が老いること”について考えてみたい。

SNSというフィクションへの逃避

主人公のクレールには離婚歴があり、年下の恋人がいる。2人の息子たちはもう手がかからず、子供たちが週末に元夫の家に泊まるときが彼女と恋人の時間だ。ところが、仕事と恋を謳歌していた彼女は、ある日突然、恋人に捨てられてしまう。

『私の知らないわたしの素顔』より

傷つきながらも彼が忘れられず、Facebookで彼の動向をチェックし始めるクレール。そこで、彼のルームメートであるアレックス(フランソワ・シビル)に24歳のクララとして友達申請し、2人の“バーチャル恋愛”が始まる。アレックスは次第にクララに会いたがるようになり、クレールもまた自分の正体を明かしたい衝動に突き動かされていく……という、着地点が最後の最後まで見えないジェットコースターのような物語だ。

『私の知らないわたしの素顔』より

架空の人間に“なりすます”とまではいかなくとも、若く美しく加工したセルフィ―をSNSにアップする人は男女関係なく、少なからずいる。それどころか、筆者の12歳の息子なぞは、SNOWで動物系に加工した可愛らしいセルフィ―をSNSのアイコンにして、もはや顔立ちどころか性別さえも見分けのつかぬ“架空の自分”を作り出している。今や老いも若きも、暇さえあればスマホをイジり、SNSをチェックしている。そこで覗く他人の日常がリアルなのかフィクションなのかも分からないのに、なぜ私たちはSNSから離れられないのだろうか。

本作のネブー監督は次のように語る。

自分の現実に向き合うために、“夢を見る”ような感覚で私たちはSNSを必要としているのかもしれない。ただSNSは、フィクションにどっぷりと浸かって現実に向き合えなくなる危険性も孕んでいると思います」

確かに、自分のリア充満載の投稿に対する“いいね!”やコメントは、私たちの承認欲求をいとも簡単に満たしてくれる。