ドイツで「自分の住む場所では」
という説明が当然である理由

また、ドイツにはさまざまな背景をもった人が暮らしている。

両親はベトナムから亡命してきたベトナム人だが自分は生まれも育ちもドイツでベトナム語が話せない人、ドイツ人と日本人の両親をもち両方の国で暮らしていた人、アフガニスタン出身の難民で国から支援を受けている人……。

だからドイツでは、「そっちの国ではどうなの?」という会話はごくごくしぜんなものであり、「自分の国ではこうなんだ」という話をするのもまたふつう。自分の国の話を嫌がる人はまずいないので、むしろ鉄板の話の種である。

「日本ではクリスマスどうなの?」「クリスマスは恋人の日で、年末年始のほうが大事なんだよ」「それは仏教だから?」「うーん、でも神社でお参りもするし……」「ああ、神道ね! あなたは神道を信じてるの?」「いや日本では宗教っていうのは……」という具合だ。

異文化が身近だから、「わたしの国では」という話は、みんな「おもしろいねぇ」と食いついてくれる。そうすれば当然、「でもこっちでは」という話になり、それぞれのちがいについてアレコレと話に花を咲かせるのだ。

いろんな国や文化の人が集まっていると、知らないことを知ることがコミュニケーションになる。日本人同士で別の地域に住んでいてそこの話をするようなものでは Photo by iStock

こういうコミュニケーションに慣れているので、深く考えず、「ドイツでは」と話してしまうのかもしれない。

ここで気になるのが、「出羽守」は主に、「欧米賞賛」と同じ文脈で語られることだ。いわゆる途上国についてだれかが発信していても、「出羽守」と批判されることはまずない。

つまり、「進んでいる」といわれがちな欧米を引き合いに出されることにより、相対的に「日本が否定されている」と結論づける人が多く、だから腹が立つのだと思う

わたし自身ヨーロッパに憧れをもっていた人間だから、「かっこいい欧州」というイメージは強かった。訪日外国人としてインタビューされるのは欧米人が多いし、本屋にも「欧米のこういうところがスゴイから見習おう」といった書籍が並んでいる。

たしかに、(どの国であろうと)見習えることはたくさんある。でも実際、完璧な国なんて存在しないし、制度のウラにはその国特有の事情があるから、「優劣」なんてかんたんにつけられるものではない。

だから、「欧米を引き合いに出した! 日本を貶めるつもりだな!」と早合点する前に、まずは「知識としての海外雑学」くらいの気持ちで聞いていただけるとうれしい。