Photo by Getty Images

鶴亀算で誰でも体感できる数学の「威力」と「限界」

抽象性の「恐ろしさ」を見極めるには

「楽しさ」を目的としない数学?

小学校の算数から、中学校そして高等学校の数学。私自身は、幸運なことに、大きくつまずくことなく勉強を続けられた。

その最大の理由は、数学の問題を解くことそれ自体が楽しかったからだと思う。

楽しさは、人を行動に促す強い動機となり得る。数学の学習そのものに楽しさを見出せるのなら、難しい事項に出会っても、なんとかしてそれを理解しようという意欲がわいてくるだろう。

Photo by Getty Images

しかし、数学を学ぶのに、「楽しさ」以外の動機はあり得ないのだろうか。

仮にないのだとしたら、「楽しめない人は数学を勉強しなくてよい」と簡単に割り切れる。しかし、たとえば『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠(キャシー・オニール著、久保尚子訳、インターシフト)で指摘されているように、数学(およびそれを使った統計学)がかなり直接的に、私たちの生活や社会に大きな影響を及ぼし得るのだとしたら、そう簡単にすませるわけにはいかない。

いや、そこまで話を大袈裟にしなくても、「数学は自分の仕事や人生にプラスになると思うが、どうしても昔のつらい記憶が甦ってしまう」という理由で、数学に近づけない人もいるかもしれない。

そこで本稿では、「楽しさ」を目的としない数学へのアプローチとして、どのような方法があり得るかを考える。

定期預金と花粉症の話

まず、数学とはどのようなものなのかを確認しよう。ただし、数学には以下で述べる以外にもさまざまな面があることをあらかじめ断っておく。

次の2つの問題文を読んでいただきたい。いずれも『思考ツールとしての数学(川添充・岡本真彦著、共立出版)からの引用である。

問題1

毎月1万円ずつ預金する定期積立預金を開始した。1ヵ月複利で月々の利率が0.25%であるとき、5年後には利子込みでいくらになっているだろうか。