新興感染症が現われ、アウトブレイクが懸念されるとき、決まって話題とされるのが「スーパースプレッダー」についてだ。
これは、ある病気に感染した人びとのなかに、とくに周囲のたくさんの人びと(10人以上)に感染させてしまう感染者が存在するという現象だ。
そうした人びとの存在がアウトブレイクの引き金になるとの危機感を持って語られる。
どのような感染者がスーパースプレッダーになるかはよく分かっておらず、たんなる個人差や重症度(体内ウイルス量)や他人との接触の多さなど原因はいろいろとあり得る。
SARSの場合、香港での親戚の結婚式に出席した64歳の広東省在住の男性医師がホテルに一緒に滞在していた人びと10人の感染を引き起こしたスーパースプレッダーとされる。
さらに、そのホテルで発生した感染者が気づかないままにベトナム、カナダ、シンガポールに帰国したために世界的な流行となったのだ。
中国ではウイルスを「病毒」と訳すため、彼は当時「毒王」と呼ばれた。
MERSの場合は、2015年6月に中東地域から韓国に帰国した後に発症した1人の患者をきっかけに、韓国で186人の感染(38人死亡)が起きたことがよく知られている。
こうしたスーパースプレッダーという存在は、私たちの心を倫理的にかき乱す。
なぜなら、感染者は病気の犠牲者・被害者としての病人であってケアや保護の対象という価値観が揺るがされてしまうからだ。目の前の患者の利益を第一に考えることは、医療従事者としての基本的な倫理であり、一般の人びとにとっても家族や友人が病に冒されたときの当たり前の考え方だろう。
これに対して、スーパースプレッダーという呼び名には、社会防衛の考え方が色濃く影を落としており、感染者は感染源として他人の健康を破壊する加害者ともなり得るとの悪魔的イメージが含まれてしまう。
だが、もし感染源としての患者への非難が強まり、感染者がバッシングを恐れて医療機関を信頼しなくなって受診が滞れば、感染症は潜行して拡大するばかりだ。
感染症患者を感染源として悪者扱いしたり、感染経路に関わる個人情報を暴いたり、病気になったことを責め立てたりすることは、感染症コントロールには役立たない。
「中国人お断り」との札を立てるなどという人種差別は論外だ。
恐れるべきは新型肺炎に対する過度の恐怖それ自体なのだ。