昨年2019年末からの武漢での「新型肺炎」の騒ぎをみて、私が思い出したのは「東亜病夫」のことだ。
19世紀の清朝末期、中国と中国人に対する差別的な表現として使われたのが「東亜病夫」(東方病夫とも言う)という言葉だった。アヘン戦争で敗北した中国を、アヘンで体力を失いやせ細った病人に例え、列強は中国のことを、東アジアにある病に冒されたかのように力の弱い国家と見下げていたのだ。
その後百年を経て21世紀に入ってからは、中国の経済力や世界的な影響力は飛躍的に増大し、2008年の北京オリンピックのころには、中国国内ではすでに「東亜病夫」は克服したと言われていたという。
ここでいう病夫は体力や国力の弱さとの意味だったが、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の問題に続いての新型肺炎のアウトブレイクで、東アジアにおける文字通りの「病(新興感染症)」の震源地というイメージは、残念ながら21世紀の中国と結びついてしまったようだ。
未知の病気が蔓延する危険な風土や、住民の衛生状態を統制し健康な生活を保障できない政府というイメージは、とてもネガティブな印象を与える。
だが、もちろん中国政府や中国人に自然現象としてのウイルス疾患発生の責任はない。
そもそも人口が多く、都市部の人口密度は高く、人びとが国内・国外を頻繁に往来する活発な経済状況にある結果としての感染拡大と見るべきだろう。
ひょっとしてアンチ中国の謀略?などという陰謀史観が頭をよぎりそうになる。