中曽根元首相(1984年撮影)〔PHOTO〕Gettyimages

中曽根元首相が私に語った「国鉄解体」を進めた本当の理由

「戦後政治の総決算」とはなんだったか

“戦後昭和”の解体

その日(2019年11月29日)の夕方、私(筆者)は東京・新宿の寿司店で開かれた一足早い忘年会に出席していた。国鉄分割・民営化を旧国鉄内部から推し進めた「改革三人組」の一人、井手正敬氏(元JR西日本社長)ら旧国鉄関係者とその過程を取材したジャーナリストとの会である。

その席に飛び込んできたのが、元首相・中曽根康弘氏死去の知らせだった。101歳での大往生である。時の総理として「国鉄分割・民営化」の先頭に立った中曽根氏の「狙い」は何だったのか――酒の勢いもあって忘年会の席は俄然、盛り上がった。

中曽根氏の思いは、国鉄を分割することによって、闘争至上主義の国労(国鉄労働組合)、動労(国鉄動力車労働組合)など組合勢力を分断し、最大勢力の国労を解体、国労という大組織が支えてきた戦後政治の一方の旗頭、総評・社会党も崩壊に追い込むことにあった。

それが彼の言う「戦後政治の総決算」だった。国鉄分割・民営化によって「昔陸軍、今総評」と言われた戦後の政治体制は一変する。「中曽根氏の存在抜きに国鉄改革は語れない。国鉄分割・民営化はまさに“戦後昭和”の解体だった」――これが集まっていた一同の一致した見解だった。

中曽根元総理(2007年撮影)〔PHOTO〕Robert Gilhooly/Bloomberg via Getty Images
 

1986年6月の「死んだふり解散」によって304議席を獲得した中曽根首相は、第三次中曽根内閣を組閣するや否や猛然と堰を切ったように国鉄改革に向け走り出す。そして5か月後の11月末、国鉄改革8法案が国会で可決され、翌年4月1日の「国鉄解体」が決まった日、中曽根氏は官邸日誌にこう記した。

「二百三高地がついに落ちた。第二臨調(1981年)以来六年、決意する者の汗と涙と忍耐の成果である。一年前には夢にも思わぬ秩序の中の静かな成立であった。当時はゼネスト、国会の強行採決、暴力、犠牲を覚悟していた。国民世論の勝利であり、民主主義の一大前進である。国労崩壊に前に社党はなすすべもなき、茫然たる日々であった。第二臨調以来の委員、参与に謝電を打つ」