今までの価値観が変わっている

当然のことだが、伯母や母はゴミ漁りとは無縁の人間だった。むしろそのような恥ずべき行動を嗜める側にいた。

彼女たちの長兄・伸一は、真面目なサラリーマンだったが、骨董と茶道に詳しく酒好きで、仙人のような空気感をもつ人間だった。伸一は、たまにゴミ集積所をのぞいて、「良い器」があると拾ってくる。それをきれいに洗って磨いて、「道具は使ってこそ」と、嬉しそうに茶道具に加えるのだ。私は、その破天荒さを愛していた。

しかし伯母は伸一のゴミ漁りが嫌で嫌で、そのたびに「おにいさん! やめて!」と顔をしかめていた。その恵子が、自らゴミ袋を開いてごそごそと探しものをした。貧すれば鈍す、なのだろうか。いや、すべては「認知症」の為せる技だったのだ。

母は常に家を清潔にし、季節の食材を取り入れて「ていねいな暮らし」をする人だった。認知症が人をこれだけ変えてしまうのだということを、植松さんは目の当たりにした Photo by iStock

最近は見かけないが、一時期「ゴミ屋敷を掃除する」テレビ番組がいくつかあった。何日もかけ、お金と人力を注ぎ込んで、有名人がゴミ屋敷を掃除する。人間の住処として回復した家を見て、家主は喜ぶ。しかしどの回だったか、掃除済みの家を再訪したら、元のゴミ屋敷に戻っていたというエピソードがあった。

家の中が片付くと落ち着かない、という人がいる。乱雑な状態だからかえってモノの在り処が分かるという人もいる。ただ、度を超えた汚部屋では、家主の精神状態に何か重大な問題が生じているのかもしれない。「ゴミ」という現象だけ取り除いても、こころや認知機能のトラブルに対処しなければ、根本的な解決にはならないのだ。

ユカや俊彦、晴子、私のお掃除隊は、その後何度か伯母宅を訪問して不用品の山と格闘したが、毎回同じように元の木阿弥となった。賽の河原で石積みしているようだった。

【次回は2月12日(水)公開予定です】

上松容子さん連載「介護とゴミ屋敷」今までの連載はこちら