「セクハラ罪という罪はない」と思う人は、『自由論』を読みましょう

功利主義者よ、汝の隣人を愛せ
石井 徹 プロフィール

人を殺せば、当然逮捕されて裁判を受け、刑法にしたがって処罰されます。しかし民法を利用して相手を自殺に追い込んだ場合、何の罪にもなりません。

世の中には民法、商法、民事訴訟法などあらゆる法律を駆使して、相手を自殺に追い込む人間がいます。それでいて刑法には触れないギリギリのところで賢く立ち回るので、殺人罪には該当しません。

これは法律上「殺人」にはなりませんが、道徳的には殺人でしょう。「合法的な殺人」と言えるかもしれません。とあるブローカーによれば、この道のプロがターゲットを狙って「ハメる」と決めたら最後、一般人はまず逃げられないそうです。

 

中には「ハメられる方が悪いんだ」とか「騙される方がバカだ」という人もいます。しかし自由主義社会では、法律さえ守っていれば他人を自殺に追い込んでもいい、傷つけてもいいのでしょうか。

「自由」の意味をはき違えている孤児パトリック

功利主義者こそ他人に優しくあれ

そこで自由主義の起源たるミルの思想へ戻ると、彼の主張はまったく違っていました。ミルは「他人にしてもらいたいと思うことは、あなたたちも他人にしなさい」というイエスの言葉を引用して、功利主義の原理だとしています。「自分だけよければそれでいい」なんて言っていない。むしろ逆に、利他的な感情によってこそ社会の幸福は実現していると主張するわけです。

ミルが教えた2つの原理

「自由」と「野放図」は別物です。一昨年、とある大臣が「セクハラ罪という罪はない」と発言して問題になりました。しかし法律の中に罪状が存在しないからといって、「自由」にセクハラをしてよいはずがありません。それはミルが目指した自由主義社会とはまったくの別物です。両者を混同している人は、今一度ミルの『自由論』を確認した方がいいのではないでしょうか。

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