悠仁親王の誕生

2006年9月6日、秋篠宮家に悠仁(ひさひと)親王殿下がお生まれになった。

悠仁親王殿下は、皇室に41年ぶりに誕生した待望の男子
皇統を未来につなぐことのできる親王の誕生で、皇位継承問題はひと息つき、それまで議論が高まっていた「女性天皇」「皇室典範改正」問題も棚上げとなった。

9月15日の退院時には秋篠宮殿下と紀子さま、そして悠仁親王を多くの人たちが出迎え、祝福した Photo by Getty Images

当時皇太子だった陛下も、もちろん雅子さまも、悠仁さまの誕生を心から喜ばれたという。
思えば、秋篠宮家に親王が生まれたことで、誰よりも安堵されたのは雅子さまだったのではないだろうか? ご結婚以来ずっと、雅子さまは「お世継ぎ」のプレッシャーに苦しまれ、その責任を果たせないことで、自分を責め続けていたのだから。

しかし、悠仁さまがお生まれになっても、依然として皇位継承問題は解決したわけではなかった。次世代の男子皇族がたったひとりでは、「皇統の安定」とは言いがたいからだ。

当時、雅子さまは42歳だったが、妊娠出産の可能性もある年齢だ。周囲は、まだ雅子さまの第2子出産を完全にあきらめてはいなかった。実際には、病気のために妊娠どころではなかっただろうが、この期に及んでもそれを理解していなかったのだ。

「悠仁殿下がお生まれになって、皇太子夫妻はお世継ぎの責任を放棄したのではないか」
「第2子のことなど忘れ、公より私を優先させている」

宮内庁内部からは、そんな声があがっていたとも言われ、ご夫妻へのバッシングが再燃する。

2007年、2008年と雅子さまの病気は回復傾向で、少しずつ公務にも復帰していたのに、その一方で私的外出が取りざたされ、「遊んでばかり」という批判が吹き荒れた。

2008年10月30日にはイギリスから来日したチャールズ皇太子とカミラ夫人をお迎えし、3年ぶりの晩餐会でおもてなしをした。体調を見ながら、公務を増やしていっていた Photo by Chris Jackson/Getty Images

今からは考えられないことだが、2009年ごろには「秋篠宮を天皇に」「皇太子は譲位せよ」「雅子さまとは離婚すべきだ」などという論調の記事が、堂々と雑誌に掲載されていたのだ。
一歩一歩、着実に、必死で前に進んでいるのに、かすかな光が見えたと思っても、なかなかトンネルの出口にたどり着けない……。

そんなもどかしい日々の中で、雅子さまの心の支えは、陛下の変わらぬ愛情と、愛子さまの健やかな成長だっただろう。