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もしも1945年8月の日本にツイッターがあったら

玉音放送は「炎上」したのだろうか

もしもツイッターがあったら

ツイッターについて。私は大学や日本史学といった〝業界〟のトレンドを知るのに使っている。多くのアカウントが私の知らない知識のみならず、本音をご本人が意識しているかどうかは別として、140字でぶちまけてくれるのでとても面白い。面白すぎて研究が手につかないくらいだ。

そんな時にふと思うのが、近代の日本にツイッターがもしあったらどうなるだろうか、ということである。ツイッターの華は、いわゆる炎上である。意見が分かれる問題について、何の気なしに、あるいは意図的に書いたことが多くの人の怒りを招き、罵詈雑言がえんえんと書き込まれる。

近代日本には、炎上必至と思われる事件や出来事がいくつも起こった。私のみるところ、最大の炎上を招いたに違いない出来事は、1945(昭和20)年8月15日に昭和天皇がおこなった、いわゆる玉音放送だろう。

『勝たずして何の我等ぞ』(朝日新聞社、1944年)

この放送で、天皇はみずからの肉声により、国民に米英中ソなどからなる連合国への降伏を告げた。それまで、天皇以下の戦争指導者たちは米国相手に和平交渉を続けていた。日本側が最終的かつ唯一の和平条件としたのは、「国体護持」である。国体護持とは何かを正確に説明するのは難しいが、ここでは〈天皇を中心とした支配体制の存続〉としたい。

米国側は、それまで日本に無条件降伏を要求しつづけていたから、日本側の条件を呑むことはできなかった。最終的な米国の回答は、天皇と日本国政府の権限は連合軍最高司令官に従属する(subject to)というものだった。見方によっては、天皇を一時的に米国に従属させることはあっても、廃止まではしない、と暗示したともとれる。少なくとも天皇たちはそのように解釈して、8月14日の御前会議で降伏を決定した

翌15日の玉音放送で、日本の一般国民の大部分は降伏を知った。当然多くの人びとが驚愕した。放送のその瞬間までは、一億国を挙げて、本土決戦に訴えてでも徹底抗戦することになっていたからである。そのなげきとも叫びともしれないつぶやきを、当時の権力機構は治安維持の観点から調査し、記録していた。

以下に紹介するのは、『資料日本現代史2 敗戦直後の政治と社会②』(1980年)という書籍に収められた、敗戦当時の全国各地の県当局による国民各層の意向調査の報告書である。

そこからは、あたかもツイッターのタイムラインのように、当時の人々が敗戦という未曾有の事態に関してもらした、さまざまな本音をよみとることができる。引用文は、趣旨を曲げない程度に表記を現代風に改め、一部の人名をイニシャルとしている。高知県のある代議士は、降伏について次のような楽観論を述べた。

大日本政治会支部長 代議士 大石大(8月15日、高知県の調査)
日本の国体を認められない以上、最後の一人に至るまで抗戦を持続するであろうが、停戦したところをみると国体を認めてもらえるものと思う。もし無条件降伏をしても、日露戦争当時と異なって、一般国民には暴動を起こすような気力は全然ないと思う。

大石の「国体〔護持を米国に〕を認めてもらえる」という発言は、昭和天皇以下の指導者層が持っていた、支配体制の存続さえ保障されれば降伏してもよいという考えを的確に見抜いたものといえる。しかしこのような、国体護持さえ保障されれば降伏もやむなしという考え方は、必ずしも支配層だけのものではなかった。